ぽしゃけなおはなし2

「二十歳になったから酒を飲む」

という流れからどうしてああなったのかと回想する間もなく9月に突入した。

 

北海道にある大学からインゼミの誘いを受け,意気揚々と太平洋フェリーの特等を発売開始直後に確保したまではよかったものの,台風によってその船が欠航となり,学校のカネで特等に乗るという野望があえなく散ったところから物語は始まる。

結局いま得で12900円というそこそこの値段を西久保カンパニーに貢ぎ,神戸から飛び立ち,そして落ちないことを祈りつつ札幌に降り立ったのが9月の5日のことである。
その日は北広島市役所に寄ってちょっとした撮影のようなことをしてから中華料理店めぐりに向かった。そして酒を飲むこともなくさっさとA5ランク人権ホテルで眠りについたのである。

翌日,起床に見事成功し函館本線の始発をとっつかまえて神威岬へ向かったまではよかったものの,目の前に現れたのは自家用車の大群と観光バスに乗った大量の外国人であった。バスが1日4本の限界観光地であるにもかかわらずこれほど人が多いのはまったくもって想定外のことであった。早々に切り上げて島武意海岸に向かうも同じ有様で,果たしてどうしたものかと考えていたところ,余市の蒸留所の存在が想起された。そうして営業しているのを確認しているうちに,そういえばワインも有名だったと思い,ワイナリーの営業情報を調べたものの休業であったため,ここにおいてニッカのプロパガンダ施設に向かうことは確定的となったのである。

さて,プロパガンダ施設である。タダでウイスキーを飲めるとあって多くの人々が押し寄せていた。試飲自体は15ml×3杯であり,多くもなく少なくもない量である。
そして順路的には前にあるウイスキー博物館ではそれと別の有料の試飲もある。
ウイスキーをキメたことしかない限界野郎は意気揚々と無料試飲へと向かう。明らかに多くの人々が押し寄せていたが,試飲をしているのはグループのうちの数名のみで,大半はリンゴジュースなどを味わっていた。試飲の受付もほぼ人がおらず,係員に誘導されるままにトレーを受け取り席へ向かう。その途上に水や氷や炭酸水などの割り材がおかれているコーナーがあった。ひとまずおすすめ通りに混ぜておけば失敗することはないだろうとグラスの上にかぶせてあった紙製の蓋を覗くと,そこにはおすすめの飲み方とやらが書かれている。

今回試飲するのはスーパーニッカ,ピュアモルト,アップルワインの3種である。ここまで書いておいてなんだがアップルワイン以外は記憶に残っていない。しかしどちらか忘れたものの1:1,トワイスアップというらしいが,これが推奨されていた。“やはり1:1は間違いではなかったのか!!”などどいう妄言はさておき,深夜テンションで飲むのと素面で飲むのとは勝手が違う。というよりもこれは知多とこちらの酒との違いであろうか,あまり口に合う気はしなかった。そしてもう一方は炭酸水で割ることが推奨されていたが水割りにしてしまうという失策をはたらきお釈迦になった。さてアップルワインである。上にかぶさっていた蓋ではロックで飲むことが推奨されていたが,いろいろやっているうちに氷が溶けてしまっていた。しかしそれによって非常に具合の良いアルコール濃度となり,これを一気に飲み干すことができた。

 

試飲は終わった。しかし飲み足りない。これが3度目の飲酒とは思えないような発言だが,せっかく飲めるところにいるのだからもっと試しておきたいというのは人間の性である。

先ほど通ってきたウイスキー博物館に舞い戻り,有料の試飲コーナーへと向かった。暗く照らされたカウンターではふたりのバーテンダーが先客の相手をしていた。見学の客は有料というのを敬遠してか皆素通りしていく。これはなかなか良い傾向である。酒を飲むなら,特に度数の強いものをゆっくりと楽しむなら,人の少ない場所の方が良い。
とはいってもカップルは無限に湧いているので精神によくない。わざわざ有料試飲に来るようなのは私のように偏屈なのか女の前で見栄を張りたいかのどちらかである。
あの場には私を含めて3組いたが,他2組はそれであった。
さて話を戻す。カウンターへと歩を進め,バーテンダーに注文をする。そして代金を支払うと,計量をするための器と思しきものに酒を注ぎ,そこからグラスに移し替え,水とともに寄越してきた。頼んだのはカミュVSOPとカフェウォッカである。途中バーテンダーが一瞬顔をしかめていたので何事かと思ったがどうやらカフェウォッカを入れすぎていたようである。こちらとしては増える分には特に問題はないので気にしないことにした。あちらも元のしたり顔に戻っている。ここは触れないのがお互いの為だろう。
カフェウォッカは全く癖が無く,ただアルコールという享楽を味わいたいならば最もよい選択肢であった。
一方でカミュはその対極ともいうべきところに位置する。口に含んだ瞬間,まず舌の先を強烈な刺激が襲う。痛みといってもいいかもしれない。最初の一撃をもって初心者たるこちらの戦意を打ち砕かんとするような意思を感じるまでの強さである。
そしてそれが抜けると直後に芳醇な味わいがふんわりと口の中に広がる。フルーツの甘さが膨らみ,そして樽のウッディな香りがそれを下から支える。ほんの一瞬の刺激を抜けるとご褒美とばかりに最高の贅沢が味覚と嗅覚とを満たしてくれるのだ。これは良い文明である。もう一口含み,今度は冷え切った水でチェイスしてみると,風味の広がり方がより峻烈な,しかし軽妙なものへと変わる。この飲み方によって表情を変える巧緻さは酒というもののひとつの完成形であるとさえ感じられる。

 

もっと古いウイスキーなどを飲むつもりでいたがカミュで満足してしまった。試飲コーナーを後にして向かったのはレストランである。ここでもいろいろと酒が飲めるが,少々弱い酒を飲んでみたくもあったため,ウイスキーではなく敢えてシードルを選んだ。しかもスイートである。飲んでみたがただのリンゴジュースであった。
3%のアルコールはもはやアルコールと感じなくなっているらしい。これまでの酒の飲み方を考えれば当然の結果ではある。一緒に頼んだ鹿の塩焼きは臭みもなく柔らかくて旨かった。

その後ショップへと出向き,ウイスキーとVSOPの小瓶,アップルワイン,そしてシードルを自宅へと送り付けた。まだ足元はしっかりとしている。よし,飲める。小樽へ行こう。

 

かくして小樽へと向かうことにした。余市からは百人近い乗車があり,立ちながらの移動であった。午前中はかなり歩いたので少々堪える。
30分ほどで小樽に着いた。そして時間を潰し,17時きっかりに小樽バインへと踏み込んだのである。
頼んだのは甘口ワインの飲み比べである。何故かといえば,一番安かったからというのと,初心者に赤ワインはあまりよろしくないという事前情報(出所不明)を仕入れていたためである。
デラウエアが最も甘く,キャンベルアーリが最も渋く,そしてナイヤガラがその中間であった。甘い酒を好む自分としてはデラウエアが最も好みに合ったが,確かに肉と飲むなら甘くない方が望ましいのかもしれないとも感じた。この辺り,次々口に突っ込んでいたせいでどの味がどの味か混ざってしまって分からなくなっていたところも大いにあるため,再履修が必要であろうと考える。

これでもまだ酔わない。しかし下手に酔うと翌日のゼミ交流会に差し支えるのでこれくらいにしておこう。そう考えて札幌へ向かい,札幌二郎で初二郎を達成し,千歳のホテルで酎ハイとともに眠りについた。

 

まとめである。人生3度目の飲酒は様々な酒のちゃんぽんを執り行い,そして「ゆっくり飲めばなかなか酔わない」という当たり前の知見を得た。
摂取したアルコールの量自体は初回よりも多いはずなので,これで酒に対する通常以上の耐性を持っていることは分かったことになる。
次はやはり日本酒か,それとも焼酎か,と翌日の交流会がビールの店で行われるということを忘れて色々と考えていたことを今になって思い出した。
なんとも間抜けなことである。

 

ゼミ交流会の飲み会もおかしな出来事があったのだがそれはまた別の話。

 

ぽしゃけなおはなし

二十歳になったので酒を飲むことにした。

友人に飯をおごってもらい,その後彼の家でずっとドラクエⅪを横から眺め,そして2時半になってようやく帰るとなった時にコンビニ*1を見つけた。

さて,店内に入り酒類のコーナーへ向かうと,所狭しというほどではないにしろそれなりの数の酒が並んでいた。ニッカウイスキーや日本酒,反対側の冷蔵棚にはビールや酎ハイ。律儀に法規を守っていたので何もかもが目新しい。そしてどれもこれもおいしくなさそうに見える*2。ではこの集団からなるべくダメージを抑えてアルコール摂取をするにあたって何を飲んでやろうかと考えているとき,ふとアルコール消毒液というワードが脳裏をよぎった。その彗星のように現れた中性子的ななにかは次々と脳内で語群に激突を繰り返し,やがてトップバリュウイスキーという言葉を想起するに至った。

いやいやいやローソンでトップバリュて。と思ったのも束の間,今度はトップバリュという文字がまた別なとこから放出された中性子の衝突によってちぎれ飛び,どっかにいってしまった。かくして自分は知多180ml*3を片手に意気揚々と帰路についたわけである。

 

家に着く。当然誰も起きていない。いや犬は起きていた。というかドアの音で起きた。シャワーを済ませ,瓶を片手に台所へと向かう主人*4をチョロチョロと追いかけてくる。ここで吠えられると面倒なので彼の好物のチーズを与え,黙っておいてもらうことにした。それでも何か期待するようにこちらを見つめてくるので彼の大嫌いな霧吹きをちらつけせてやるとすんなり引き下がって寝床へ帰っていった。何もやらなければ霧吹きでは引き下がってくれない面倒な犬である。実質これが最適解だろう。この時点で3時前である。

さて酒だ。ロックだのハーフロックだのハイボールだのよくわからないがとりあえずウイスキーと炭酸水を混ぜれば飲めるんだろう,と冷蔵庫を覗いたが,肝心の炭酸水が見つからない。シュワチンしたときの残りがあったはずなのにどうしたものか*5しかしないものはないので仕方ない。しぶしぶ近所の自販機まで出向いてサイダーを買ってきた。以前伊達や芋焼酎をこれで割っていたのでまあ大丈夫だろうと考えての行動である。

そしてグラスを3つ出した。ひとつはハーフロック,ひとつはサイダー割り,ひとつはお湯割り用だ。せっかくのウイスキーなのだからたくさん楽しみ方を用意せねば損だろうという貧乏性がはたらいた結果である。

ウイスキーを開封してグラスに注いでいく。薄い琥珀色をした雫が次々と滴り落ち,氷を打つ音が響く。そして最後にはグラスの底へと辿り着き,そこからは水音しか聞こえなくなった。この時点で自分には官能小説の才能が無いことが分かった。ともかくここに適切なものを流し込めば完成なので後は楽なものである。すべて1:1の割合で注いだ。

もうお分かりいただけるとは思うが,ハーフロック以外はそんな飲み方をするようなものではない。サントリーによれば知多の最適な飲み方は1:3.5のハイボールである。明らかにしくじっているが,なにせ酒の知識など殆ど無いのでそれに気づいていない。そしてお湯割りを一口飲んでむせた。当然の帰結である。そしてようやく間違いに気づいたのか多量のサイダーをお湯割りに流し込んだ。何をしているのかさっぱりわからない。絶妙にぬるく,中途半端に甘いその液体を口に入れたとき,果たして自分がなにをしでかしたのかということに思い至った。しかし飲みにくさは一気に解消されていたので流し込んだ。微妙なものを体に入れるならこうするに限る。そして今度はハーフロックに手を付けた。ウイスキーの味なんてわからないがなんかカッコつけられる気はした。そしてこれもすぐ胃に流し込まれたウイスキーの味とはこんなものかということが分かったところでサイダー割りである。先の二つの失敗を鑑み,より多くのサイダーで希釈する手に出た。大体1:3くらいになったところで飲んでみるとこれが飲みやすい。というかほぼジュースのように感じた。*6そして気づくと知多の瓶が空になっていた。そのあと調子に乗って冷蔵庫に入っていた酎ハイも飲んだ。サイダー割り以上にジュースだった。時計を見ると3時20分を指していた。

…あれ?

これやってること一気飲みと変わらなくね?

そう思い至るとまた別なジョッキに水を注ぎこみ,一気に飲み干した。

しばらくして酔い(?)が回ってきた。現実感が無くなり,体が軽くなる。論理的思考力が極端に落ちる。なぜか画面に対する反応は早いままである。こんな状態で運転なんてする気になるやつの神経が分からないと思いつつ,これ以上の波が来るとどうなるのかと怖くも感じた。幸いなことにそれ以上が来ることはなく眠りについたが,翌日地獄を味わうこととなった。体がだるく,吐き気だか吐き気じゃないんだかよくわからない感覚に延々と襲われ続ける。結局回復したのは14時を過ぎてからで,一日の半分を無駄にしてしまった。酔うのはやってみたいと思っていたがこんな症状まで頼んだ覚えはない。結局のところもう少しゆっくり飲むことを覚えなければならないという至極当たり前の教訓を得た。飲みやすい酒も考え物である。

かくして人生初の飲酒というイベントは,失策によるオーバードーズと二日酔いという形で幕を閉じたのであった。そして記憶が飛んでいないあたり少なくとも自分は酒に弱くないということが分かった。けれども他の酒の具合がよくわからない以上,日常的に酒を飲むようなのはまだ先のことになるだろう。ひとまずウイスキーは飲めるらしいので次は日本酒かウオッカにでも手を出してみようとは思う。ということで酒好き各位は情報ください。

 

―おしまい―

*1:秋月律子,またの名を労損

*2:多分周囲の未成年飲酒に嫌気がさしていたから。多少なりとも酒に対する敬遠があったとは思う。

*3:なぜこれを選んだかはあまりよくわかっていない

*4:尤も当人からそう見えているかは不明。普段もめちゃくちゃな要求をされるので下に見られているかもしれない。

*5:後になって発覚したことだが,いつの間にか親父が消費していたらしい。

*6:先の二つがおかしな味をしていたり濃かったりしただけ

バカと旅行と大失策なおはなし

198日とは1年の365分の198にあたる期間で月に直すと約6か月半である。

大体月が7回公転するくらいの期間でもある。

僕がこのブログの更新をこれだけほったらかしにしていた理由はひとえにこの存在を意図的に忘れていたという一言に尽きる。大学でGPAと殴り合いをしたりサークルを作ってみたり中核派と仲良くなtt…というのは冗談だが,ともかくこれに掛ける時間が無かったのである。

しかし昨今の無言キャス*1やシュワチンブロガー*2の動向を見るにつけて,いやがおうにもこのブログの存在を想起せざるを得なくなった。ということで適当にネタらしくもなく面白くもなんともない「これまでの旅行で犯した自分の失策」を時系列順に並べていこうと思う。

 

1.2011年12月 北海道・豪雪と寝坊と判断ミス

概要:12月26日,急行はまなす青森駅でのポイント凍結,連絡列車遅れおよび信号機トラブルにより50分遅れで青森駅を発車した。途中函館駅での停車時間を削ることでなんとか30分遅れで札幌駅に到着。すぐに折り返してエアポートで南千歳へ,そして乗り継ぎ苫小牧へ向かったものの,時刻表の確認を怠った結果8分差で日高本線に逃げられる。失意のまま札幌へ戻るも今度は札幌圏が豪雪でダウン。当日の宿の取ってある滝川へ向かうため石勝線経由で新得へ向かったが新得到着時に函館本線が復旧し無事憤死。結果クッソ非効率的なルートで滝川へ向かうこととなった。

原因:列車遅延,寝坊(新札幌発車直後に起床),時刻表の確認ミス,自爆

 

2.2012年8月 島根・運休区間への突進

概要:山陰本線は路盤流出により奈古~須佐間で不通となっていた。同じころ,山口線でも地福駅周辺での土砂流入により運休が発生していた。そこにサンライズからスーパーおきの乗り継ぎをキメて意気揚々と乗り込んできた馬鹿がひとり。駅で調整中の文字を見て絶句。てっきり長門市から先の区間が運休していると思い込んでいたため益田駅で息を引き取る。蘇生後なんとかバスを確保し広島駅へ脱出するも今度はバスが30分遅れ,席を確保していたさくらに逃げられ再び死亡。人権のない自由席で小倉へと向かう羽目になった。これだから島根は

原因:自爆

 

3.2012年8月 福岡・奇跡的な連鎖

概要:田川後藤寺駅は難儀な駅で,後藤寺線日田彦山線とが接続しているもののホームが死ぬほどわかりづらく離れている上,田舎のくせに絶妙な接続で列車が発車する。そして後藤寺線の列車は到着時に必ず2列車がホームを挟んで対面している。さてやってきたのは,つい1日前に運休区間に突撃し見事爆死を決めたETR終身名誉死刑囚(15)。田川後藤寺駅で下車し反対側の列車に乗り換えたものの放送で原田行きであることに気づいた。『この列車は原田行き』のアナウンスを聞いた馬鹿の貌はみるみる青ざめ,その瞳は自動織機よりも速く左右へ動いていた。早速成層圏まで飛び上がり,『なんでホームが遠いんだ』『案内にも問題がある』と駅前の犬に説くも『分かりづらいのは分かり切っていたこと』『調べなかったそちらさんサイドにも問題がある』と反論、その反省が見られない態度に黒田は激怒,手始めに後藤寺線の車両に男気ツーシームを命中させて黙らせると,駅の手本を見せるべく強引に新宿駅と駅対決を開始。黒田の渾身の変化球はベンチで見ていた田川後藤寺駅まで曲がっていきポイントを粉砕,無事男気を注入した。満足げな表情で成層圏から地表に降下するも離陸時にパネルが崩落し穴が開いていたため空中分解し夏空に揺れる真昼の流星となった。これについて緒方広島カープ監督は『(文句をつけるのは)結果論』とコメント。なお石原町での乗り換えは間に合う模様。

原因:田川後藤寺駅の構造,自爆

 

4.2016年9月 広島・『アッ、ホテルがない!』*3

概要:九州での日程を終えて広島へ向かう限界オタク。疲れからか、不幸にも黒塗りの広島に到着してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは…。後輩の目前に晒されるあまりに屈辱的なJTBの痴態、渦巻く憎悪と疲労に翻弄されて…。一瞬のスキをついて形勢を逆転した限界オタク。噴出した怒りはやがて灼熱の西条を点火する。

原因:代理店の都市名(広島県西条→愛媛県西条)取り違え

 

―おしまい―

 

 

 

 

 

 

*1:旭駅本屋 ←ここのひと

*2:オルソンブログ ←ここのひと

*3:元ネタは『アッ、滑走路がない!』,航空事故関連の週刊誌記事。

オタクとドラマなおはなし

Twitterのプロモを見てふと思った。

「そういえば何故我々オタクは実写の恋愛ドラマを嫌うのだろうか」と。

僕自身オタクという種族であることに間違いはないし,そのプロモを見て吐き気がした。だが「なぜ」ということについては考えもしなかった。

これについて,以前から持っていた概念とこの前見かけた説とを組み合わせると割と容易に説明できてしまう気がしたのでなんとなく考えてみることにしよう。

 

オタクという種族の大きな特徴は「空想と現実の区別に秀でていること」であるとされる。これはそういえば昔からよく言われていたことであるが,このまえ改めてTwitterでそういう話が回っているのを目にするにあたって,確かにそうだと考えた。現実世界で手に入らないものを,あるいはあり得ないものを二次元な世界で得ようとする。これが所謂大半の「アニメオタク」の本質である。

さて,この手に入らないものとは具体的に一体何なのだろうか。多くの場合真っ先に「恋愛」があがるだろう。多くの場合,可愛いヒロインへの欲求は,現実で愛を手に入れることの容易ならざることに起因している。あるいは女の子がキャッキャしている日常系に関しても,「男の介在しない空間」の存在不可能性,言い換えれば「自分以外の異性の観測者の不存在」をその視聴の原動力とする場合が多々見受けられる。その他にも「俺TUEEEE」な物語,異世界転生,「未来」の物語などなど,現実での存在が殆どあり得ないであろうもの,あるいは存在の証明が不可能なものを得るということが,我々「オタク」という種族の基本的な行動である。

 

さて本題である。何故「オタクは実写の恋愛を毛嫌いする」のだろうか。答えはすでに上記のことに示されている。簡単に言うならば『「恋愛」という空想を「実写」という現実性を持った媒体によって描かれることへの違和感を堪え得ざるから』であろう。

 先に述べた通り,オタクというのは現実と空想とを区別する能力に秀でた存在である。そして多くのアニメオタクがアニメオタクたるゆえんは「恋愛」の獲得不可能性による。それゆえ多くのオタクにとって恋愛とは「空想」と似たような存在である。

 

しかしながら世の中の恋愛を描く手段の多勢は「実写」である。そしてそれは紛れもなく「現実」による描写である。現実に存在する場所で,現実に存在する人物が,恋愛という多くの人々にとっては「現実」である出来事を演じる。

 

これがオタクにとっては何を意味するのかというと,恋愛という「空想」が強烈な現実性の下に描かれるのである。そこには大きな違和感が現れる。

例えばアニメという手段での表現を考えてみると,絵という「空想」の下で,現実の場所をモデルにしていることもあるが,あくまでも「空想上」の場所で,実在する「声優」が「空想」の物語を演じる。これはどちらかと言えば『「現実」が「空想」によって希釈されている』表現方法であると云えよう。

しかし実写の場合,「空想」の脚本が現実に引っ張られる,即ち『「空想」が「現実」によって希釈されている』のである。まずここで違和感を覚えざるを得ない。そしてその違和感に対しては多くの場合「拒絶」を以って対応する。

さらには恋愛を「空想」と捉えざるを得ない自らのマイノリティ性をも見る。一種のマジョリティによる暴力のようなものが自らの前に流れ込んでくる。それゆえ防御のための機制としてもそれらを拒絶するのである。

 

 もう少し議論を拡張してみることにしよう。

この空想と現実の話について,僕は昔から「認識的三次元」と「実存的三次元」という概念を用いて説明する。「実存」のほうは文字通りであるが,「認識的三次元」とは,「実際は三次元ではないが頭の中では三次元として処理する事象」のことである。たとえばマンガやアニメは実際には二次元平面であるにも関わらず,我々はその中に奥行きを見出す。ここに「認識」を以って二次元を三次元と擬制する。

一方で小説については「認識的三次元への擬制」と「実存的三次元への擬制」との両方があり得る。つまり小説を読んで「二次元の美少女」がイメージされるか「現実の人物」がイメージされるかの違いである。これは挿絵,或いは個々人の経験により左右されるため深くは追及しない。

さて,この二つの概念を持ち出す格好の材料が「マンガ/アニメの実写化はなぜ成功しないのか,なぜ叩かれるのか」という問題である。聡明な諸君であればお分かりであろう。これらが叩かれる原因は脚本のほかに,「認識」と「実存」の,「実存側の人間による」混同が行われているからである。

「実存」側の人間はたとえ空想的であろうとも「現実」を以ってものを描く。一方でオタクというものは「現実」と「空想」とを区別する能力に秀でている。もっと言えば,「認識的三次元」と「実存的三次元」とを完全に分離している存在である。それゆえ認識世界への実存の流入を良しとしない。そのうえ,「認識的三次元」の世界は多くの場合「実存的三次元」へのコンバートが(少なくともオタクの中では)不可能なものである。混ぜようとすると大きな違和感を産む。そもそも「認識」として生まれたものはそれ自身が「認識」世界の存在であるという強いミームの機能を持つのである。

そしてオタク以外にとっては「実存的三次元」へのコンバートが不可能な作品は「そもそも存在しない」。また,「実存」側の人々はオタクのテリトリーを土足で荒らしていく。さてどこに成功する要素があろうか。どこに叩かれない要素があろうか。

 

まとめよう。

結局のところ,オタクが実写を嫌う理由はひとえに「空想・認識」の世界への「現実・実存」の流入を嫌うからである。これはオタクは現実と空想の区別に優れているうえ,多くの創作的事象についてそれを「認識」の世界で処理するようになっているということに由来している。

 

 

 

軽く書くつもりのブログに重たい話題が並んでいく気分はあまり良いものではないけれど,僕自身が短文でセンスのあることを書けないのだから長くて重たいものになるのも仕方ないのかなともおもいつつ,早春の夜が更けていくのである。

 

 

 

 

春休みなおはなし

12泊15日春季北海道遠征旅程確定!!!!1!!!

 

それはそうと尻の上が痛い。

受験直前の2015年の12月に尻の割れ目の起点の皮下に大量の血膿が溜まっていた事案に対して,そのときは切開で対応したのだけれども,傷がふさがってからこれで2回目のぶり返しである。何がつらいって背もたれにもたれて座ることができないのだ。また切開かとも思ったのだけれども切ってしまうと2週間はかかるので出発に間に合わない可能性も出てくる。しかしこいつを何とかしなければ痛みで旅が台無しになりかねない。ということでこれでもかというくらい清潔に保つ方向で考えているのだけど,そうすると汗をかく運動なんてものはできないので体を絞るのにも支障が出てしまう。

Perche sono questo malato.(どうしてこうなった)

つべこべ言ってないで病院で相談すべきか。

旅に出たい

というか出る。これは確定事項。

北へ行く。北海道を回るか東北を回るかはまだ決まっていない。

その前の大きな課題は試験。

じゃあ試験勉強しろって?

専門科目の試験終わったし割とどうでもいい。

ただ単位を落とすことはプライドが許さないから多分やる。

 

※三日坊主回避のために書いただけなので深い意味はないよ。

テスト勉強をさぼりながら綴る雑感

 ちょっとした怒りを綴りたい。

いわずと知れた絵本の無料配信の件である。

上から目線のマウンティングはさることながら,彼はいくつもの罪を重ねている。

 

 「お金を払って読みたい人は有料の本を買って、無料で読みたい人は無料のインターネットで読めるものとする。」

これがその言い分である。

それに対して,僕は「情報の価値をあまりにも軽視しているのではないのか」という印象を受けるとともに,「社会的強者」の驕りを感じた。

 

 

 さて,ものの価値というものは人によって異なる。経営学の教科書によく書かれていることだが, 人々が財やサービスを求めるとき,彼らはいくつもの欲求を参照し,それに最も合うものを探す。例えば車を買う時だって,「サービス」や「コスパ」を重視する人はおそらくトヨタを選ぶ。「ロマン」が欲しければスバルを,「見栄を張りたい」のなら外車へ向かうかもしれない。しかし,本質的にはみな「車という移動手段」を欲しているに過ぎない。よっぽどの物好きでもない限り,車を使って移動すること抜きには車を買うインセンティブはない。

 

 同じことが情報にも言える。本を読むことだってそうだ。同じ本一つとっても,ハードカバーが好きな人もいれば,文庫本が好きな人もいる。本を持ち歩くのが面倒だからと電子書籍を選ぶ人もいるだろう。しかし彼らが求めているのは結局のところ「その本に内包されている情報」であることには変わりない。確かに,ハードカバーや文庫本より電子書籍のほうが安くなる傾向はある。しかし内容の分の金はきちんと取られている。

 

 こう書くと僕が無料で公開しているものの価値を否定していると思われるのかもしれないがそうではない。例えば,絶版マンガ図書館(旧Jコミ)は出版社の都合で書籍化のできないマンガを無料で公開する代わりに広告収入を分配するという方法をとっている。『ブラックジャックによろしく』だって,結局のところ後続の作品のためのマーケティングという面もある。マンガ雑誌のサイトだって,重要な部分は「続きはコミックで」となっている。音楽のPVだって,一部の公開で残りを買わせるというビジネスモデルに過ぎない。無料で公開しているもののすべてが悪というわけではない。

 

 これら無料公開の共通点は,「何らかの形でクリエイターに還元される」というところにある。もっと言えば,「続きを気にさせ,購入するインセンティブを掻き立てる」というものが多数である。ついでに多くの面においてクリエイターは弱者であることをここで先に述べておく。

 

 さて件のクズである。

曰く,「無料化の否定とPV公開は相反する」とのことである。

前段の主張を読んでいただいた賢明なる諸兄なら,これが共存しうることがお分かりいただけよう。そして如何にあの言い分がおかしいかにも気づいていただけると思う。

あの言い方を言い換えるとこうなる。

「無料化の肯定がPV公開である」

あろうことにCDの2曲目,3曲目の価値を否定している。

先にも述べたように,PV公開というのは一種のインセンティブ喚起のための手法でしかない。あるいは広告収入でクリエイターを支えるモデルにもなりえる。

しかし,それは情報が無料である根拠となりえない。必ずどこかしらで情報の対価は動いている。当たり前の話だろう。

 

 そして明坂さんを誹って曰く「無料で見せてグッズで稼ぐアニメ産業」である。

確かにアニメは放送時点では無料である。しかしアニメには放送時間内でないと無料になりえないという「期限」がある。(少なくともその期限性については僕は否定的であるが。あと録画については長くなるのでここでは触れない。)

そしてその情報の構成は書籍以上に複雑怪奇である。構成,作画,動画,原画,声優,音響…ひとつの情報を作り上げるだけでも非常に多数の利害関係者が生じる。

それを書籍の無料公開と同列に語ることは無理がある。

 

 ともかく,情報というものが決して無料ではないという根拠とクズの誹りに対する反論はざっとこのとおりである。

 

 

 さて,ここからが問題の核心である。

とはいったものの何からぶちまけていいかよくわからないので思いついた順に書く。ここから凄く口調汚くなるよ。

 

 

 

 

 

 

子供の教育のため?

情報としての金は要らない?

子供にそんなたいそうな倫理観があると思っているならとんだおめでたい頭だ。

タダで手に入ったら他もタダで手に入ると感じるに決まっているだろう。

高校生でさえ,大人でさえもそう感じて,そして違法ダウンロードやらアップロードに手を染めているのに子供に何を期待しているんだ。

 

恩送りのため?

お前それ本気で言ってんの?

クリエイターと消費者は本来対等な立場のはずだ。

基本的には消費者から金が払われ,クリエイターから作品が供給される。

ただの取引関係に過ぎない。

それがなんだよその上から目線。

お前のほうが偉いのか?

金銭によって清算されるべき関係を勝手に破棄しといて何言ってんだ。

法哲学の公正についての部分をよく読み直せ。あ,そもそも読んでないか。

その上から目線の正当な根拠があるなら言ってみろ。

 

知られないと買われない?売り上げがすべて?

今回の事象はお前が社会的なセレブリティであることと可分なのか?

これが何もないところから始めてマーケティングとして無料公開して周知されたなら話は別だ。だがそうではない。その名の下に金を集め,重版をかけ,そして燃やす。アドバンテージがありすぎる。

河上肇の貧乏物語でも言及されているように,富者の貧乏体験は貧乏ごっこに過ぎない。ああいう物言いをするなら名前を一切明かさずに,その権威を使わずに,自分でゼロから始めてみろよ。それでのし上がれたら認めてやるよ。

今の時点では少なくともその物言いに正統性はないだろう。

言ってることは上西小百合と変わらない。

 

ごちゃ混ぜにしている人が多すぎる?

その言葉そっくりそのまま返してやるよ。

情報の無料配信という戦略と情報が無料であることは違う。

だから叩かれてるのが分からないのか。

絵を描くにはちゃんとした技術が要る。

話を組み立てるにはちゃんとした教養が要る。

そしてそれを作り上げること自体にも時間がかかる。

何なら金もかかる。

それをお前は無に帰すつもりか?

辞書の知的財産のページを読め。

 

自分の作品作りに時間を使う?

お前その本全部ひとりで書いたんか?

誰かに書かせたんやろ?

そんなたいそうなこと言えるんけ?

 

お金の奴隷解放宣言?

金を使うかどうかは消費者が決める?

お前経済をなんだと思ってんの。

窃盗の幇助か何かしてるんか?

それただの共産主義の理想的展開だから。

そんなこと言うんやったらオーウェンのことくらい知ってるよな?

実現可能性考えような?

 

さっきも書いたけどお前CDの2曲目とか3曲目をなんだと思ってんの?

お前のほうがクリエイターに失礼だってことに気づけよ。

CDに金を出すのは物質の価値だけじゃねえんだよ。情報の価値だって多分に含まれてるんだ。それが何だ,明坂さんが曲のPV出したときにまた燃やしますだぁ?

燃えるのはお前のほうだよ。

 

無料化の時代の波に取り残されるだぁ?

過渡期にそれやって損失被らなくて済む立場のくせによく言えるな。

生活かかったクリエイターにそういう決断がポンポンできたら死にかけてる人間なんていねーよ。

 

それから無料化で出た広告の収入は寄付しますだって?

お前なんでこのタイミングで言うの?

つまり燃えなかったら全部自分の懐に入れる気やったんか?

 

お前明坂さんをなんやと思ってるんや?

明らかに格下に見た物言いやな。

さっきも言ったけどその上からの物言いに正統性はあるんか?

しかも吊し上げか。

自分の(間接的なものも含め)取り巻き使って袋叩きか。

 

 

謝れよ。

 

牛裂きにでもされながら詫びろよ。

 

その社会的地位とやらを使って上から目線でものを語った挙句

多くの人間が見ることのできるブログという場を使って吊るし上げたことを。

 

 

 

 

ざっとこんなもんだろうか。

思いついたらまた書き足すかもしれないし,文体を改めるかもしれない。

思いつくままに書いたから論理が甘いとか破たんしているとかもあるかもしれない。

 

 

 

 

 まとめよう。

 本件は

「(生活がかかってもいないので)リスクのある無料化の決断が容易にできる」

「(いやしくも)『社会的地位』の高い人間が」

「自分が作ったわけでもない作品を利用して」

「同人ゴロのようなことを行ったうえに」

「無教養にも」

「情報の価値を否定し」

「クリエイターに対して失礼な物言いをし」

「あまつさえその立場を使ってマウンティングを行った」

事案である。

しかも火消しのために他人のアイデアの剽窃までしている。

最初の記事で「自分がタダにしたからと言ってほかのクリエイターに強制するなよ」

後出しじゃんけんをしている。

しかし僕が話題にしている記事には,そのような大層な人間性が読み取れる文言は一切ない。

つまりあのクズはそういう人間である。

 

 繰り返すが僕は無料化自体を否定しない。

クリエイターに還元されるのならば問題はない。

しかしその構造がいまだに成熟していないのだ。

それゆえ無料化という方向に舵を切れない人も依然として多い。

当然リスクも高い。

それなのにあのクズは「できるだろ?」という物言いをした。

例えば,裕福で何不自由ない人生を送り,東大に入って官僚になった人間が

「え?東大なんて誰でも入れるだろ?」「え?小遣い?親がなんでも買ってくれるでしょ?」と言い放ったら誰だって腹が立つ。

腹が立つまでなら耐えればいいかもしれない。しかしそれを強制しだすと話は別だ。

(東大は物の例えなので貶める意図はない)

 

 ただし,この還元システムの問題とクズのマウンティングとは別件であることはきちんと認識しておかなければならない。

僕が糾弾しているのはあくまでもマウンティングの方がメインである。

僕はあんな人間を許せない。

「多数派」であることに驕り,「社会的地位」に驕り,そうでない人間を一方的に誹るような人間を。

自分が作り上げたものでもないのにあたかも自分のもののように誇り,あまつさえそれを利用してすべての良識ある人々を馬鹿にする人間を。

 

そしてこんな稚拙な文章しか書けない自分にも同時に腹が立つ。

 

 

かくして,なんで初投稿がこんなんになったんだろうと後悔しつつ,

僕のテスト前の大切な3時間が溶けていったのである。