【アイドルマスターシンデレラガールズ】フリートレードで学ぶ!カール・メンガーの価格決定論

こんにちは。テスト期間真っ盛りのETRです。最近ミリばっかりでしたが今回はデレです。え?イタリア要素はって?まぁ夏休みにやりますよ(

さて、デレマスはデレマスでもモバマスの方にフリートレードというシステムがあるのを皆さんご存知でしょうか。これはカードをある価格(欲しいアイテムやカード)で募り、条件が合えば交換が成立するというシステムで、これがカードの流動化とPの効用増大に一役買っています。そしてこれを指して「モバマスは経済」というワードも生まれたわけです。しかし、経済っぽいのはそうなのですが、具体的に誰の考えた取引に類似しているのでしょうか。ケインズ一般均衡理論でしょうか?それともマーシャルの部分均衡理論?あるいはアダム・スミスまでさかのぼりましょうか。ひょっとしたらリカード自由貿易理論かもしれません。しかしここまでに挙げたすべての思想より、より類似性の高い思想が存在します。それがカール・メンガーの価格決定理論です。

カール・メンガーとは何者なのでしょうか。以下wikipediaからの引用です

カール・メンガー
オーストリア学派
カール・メンガー
生誕 1840年2月23日
死没 1921年2月26日(81歳没)
研究分野 近代経済学
影響を
与えた人物
オーストリア学派の経済学者
実績 限界効用による経済人の行動分析
テンプレートを表示

カール・メンガーCarl Menger1840年2月23日 - 1921年2月26日)は、オーストリア経済学者。経済学におけるオーストリア学派限界効用学派)の祖。ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズレオン・ワルラスらと共に限界効用理論の創始者として、近代経済学創始者の一人に挙げられる。(終)

 

 

オーストリア生まれの凛々しいオッサンです。しかし、彼は大きな功績を残しました。それが"限界効用"の発見です。

ここで少し別の話をしましょう。皆さんは水とダイヤモンド、どちらが重要なものだと考えますか?

答えは当然水です。ダイヤモンドは無くても生きていけます。しかし、世間では水よりダイヤモンドの方が高価ですよね?これはどういうことなのでしょうか。

これは所謂価値のパラドックスと呼ばれるものです。古典派経済学においてはこれが難題でした。結局古典派の人々は、希少性という概念を発明し、利用価値と交換価値を強引に分離することでしか解決できなかったのです。

一方でメンガーはこれを限界効用の導入で解決しました。詳しくは各自で見てもらうこととしますが、簡単に言うと、水の価格は、砂漠などの例外を除き、通常は安価で、その理由は水がすでに豊富である場合に、水の追加1単位の価値が低いからということです。まぁこの辺に関しては後々出てきます。

 

さて、ここからが本題です。メンガーは人々がその効用=満足度を高められるものを効用物と呼びました。

「人間の欲望満足と因果的連関に置かれうる物を、私たちは"効用物"と呼ぶ。ところが、私たちがこの因果連関を認識し、かつそれらの効用物を私たちの欲望を満たすために実際に向ける力をもっているならば、私たちはそれらを"財"と呼ぶ。」

モバマス的に言い直すと、「Pの満足度と因果的連関に置かれうるもの、すなわちカードや衣装を効用物と呼び、それらを実際に欲望を満たすためにPがそれを手に入れる力を持っているならばこれを財と呼ぶ」ということです。

そしてメンガーは「一人の人間が自分の欲望を満たすために所持しなければならない消費財の数量を彼の需求・・と呼んでよいだろう。」と需求という概念を導入します。

しかし、需求というのは満たされることの方が少ないものです。メンガーはそれを念頭に置き、次のように考察します。

「もし経済人がこのような事情を認識するならば(すなわち、彼らが自分の欲望の一つを満たすこと、あるいは、その満足の完全さの大小が、財の数量の各部分の支配に依存していること、あるいは、そのような数量関係にある各個別財に依存していることを認識するならば)、これらの財は、経済人にとって、私たちが"価値"と呼ぶ意義を獲得する。それゆえ、価値とは、個々の財または財の数量が私たちにとって獲得する意義のことである。なぜなら、私たちは、自分の欲望を満たすためにはそれらを支配することに依存することに気づいているからである。」

つまり、ある財に対する需求>その支配可能量のとき、人々は自分の欲望の一部が満たされません。そのとき、人が自分の欲望の満足度の完全さが、その財の支配やその数量関係にある各個別財に依拠していることを"認識して初めて"「価値」と呼べる現象が生まれるとメンガーは言うのです。例えば、「遊佐こずえのカードに対する欲求」よりも「遊佐こずえのカードの支配量」が低いとき、その欲望満足がこずえに依存しているということが分かります。それをP自身が認識して初めてこずえのカードに主観的な「価値」が生まれるということです。すなわち価値はモノに内在しているものではなく、各個人の判断に依存している、人の意識の外には存在しない、ということになります。これがメンガーの主観的価値説という考え方です。

そしてメンガーはこの主観的価値論に基づき、個々の欲望がその主観的な重要度に従って並んでいる有名な表を掲げます(ここでは省略)。例えばこの表は、度盛Ⅰに食欲の満足の逓減的な意義(10,9,8,7,6,5,4,3,2,1,0)を、度盛Ⅴに飲酒に対する満足の逓減的な意義(6,5,4,3,2,1,0)を置いています。メンガーは「限界効用」という言葉は使っていませんが、ある財の追加的な1単位に基づく満足の増え方を把握し、そのような度盛を示しています。このケースでは、ある財の主観的価値は限界効用によって表わされることになりますが、度盛の数字が徐々に減少していくように、財の量が増加するにつれて、追加的な効用が逓減していくわけです。

モバマス的に言い換えるなら、高垣楓Pにとって例えばの楓のカードを度盛I、美優のカードを度盛Vに置いたときに、その効用の増え方が、カードが増えるたびに逓減していくということです。換言すれば、楓のカードの効用は1枚目が10、2枚目が9…と減っていき、5枚目のカードと1枚目の美優のカードが6で同じ効用となるというだけの話です。

さて、メンガーは主観的価値論を提示したあと、交換の理論へと進みますが、彼によれば、交換がおこなわれる前提条件は3つに纏められるといいます。

「しかし、財の相互的譲渡から得られる利益は、私たちが見てきたように、三つの条件に依存している。すなわち、(a)ある一人の経済人が支配している財数量が、彼にとって、もう一人の経済人が支配している他の財数量よりも価値が小さくなければならず、他方で、後者の財評価は前者とは逆転していること。(b)二人の経済人がこの関係をすでに認識済みであること。そして、(c)彼らがこのような財の交換を実行する力を現実にもっていること。この三つの条件のうちたった一つでも欠けるようだと、経済的交換がおこなわれるための不可欠な必須条件が欠けており、二人の経済人の間で財を交換することは経済的に不可能であることを意味することになる。」 

つまりメンガーは、「カードの交換というものは、二人のPの間でカードの評価が逆転しているがゆえにおこなわれるのだ」と述べています。限界革命以前の古典派経済学では、例えばそれを引くために使った時間が等しいとかリアルマネーが等しいカード同士が交換される「等価交換」が大原則でした。ところが、メンガーによれば、経済的交換がおこなわれるのは、Pのカード評価が例えばAというPとBというPでは異なるからだというのです。

 このような考え方は、需給が一致するところで価格が決まる一般的な均衡理論とはまた違った価格決定理論へと向かっていきます。たとえばあるPにとっては、自分が所有している水本ゆかりのカード10単位と橘ありすのカード4単位が等しい価値を持ち、また違うPにとっては自分の所有しているありすのカード4単位がゆかりのカード8単位と等しい価値を持つケースを考えてみましょう。

メンガーはこの1:1の取引を「孤立的交換」と呼んでいますが、現代経済学では「双方独占」に当たります。この例では、4単位のありすが、ゆかりを価値尺度にとって8単位以上10単位以下ならば双方にとって交換によって利益が生じます。すなわち価格はこの幅の範囲内であればどこでもよく、それをある一点に決めるのはPたちの交渉力なのです。(もっともフリトレに交渉もクソもありませんが)

メンガーは、このような1:1の交換から出発して、多数者の交換へと進んでいくのですが、トレードの参加者が増えるにつれて次第に価格幅が縮小し、ついには、ある1点へと収束するというアイデアを提示しています。

このような状況というのはカードが登場した直後のケースを想定すればわかりやすいでしょう。例えば塩見周子のカードが登場したとき、それを手元に持つのは担当Pだけとは限りません。周子Pでなければそのカードの主観的価値は高くなく、案外安く(たとえば彼の担当のSR2枚)放出されていることもしばしばあります。一方で周子Pからすると、そのカードは喉から手が出るほど、相手の担当のカードを5枚差し出してでも欲しいわけです。スタドリやエナドリが存在しないと仮定した場合、その取引条件には幅が生まれます。その幅の中であれば価格は何でもいいわけです。ところが、参入者が増えるとその幅は狭まっていき、結局ある1点に収束していくというのです。これは直観的に理解可能でしょう。

さて、メンガーはこのユニークな思考プロセスを用いて、貨幣の登場についても言及しています。むしろモバマスPからするとここからの話の方がしっくりくるかもしれません。

このようなトレードの場合、どのPも自分が支配するカードの価値が、相手が支配する別のカードの価値よりも小さいようなPを探さなければなりません。しかし、掲示板をもってしてもこの作業は相当の困難を伴います。なのでPたちは自分にとっては直接の使用目的にはさほど役立たないけれども、相手を見つけやすいような「何か」をまず手に入れようとするようになります。メンガーはそれを「販売力」(あるいは「販売可能性」)の高い「商品」と呼びます。このような交換が繰り返し実行されれば商品のなかで最も「販売力」の高い「何か」が「貨幣」の役割をするようになると考えられます。つまり貨幣とは、不均衡の世界でそれぞれのPが自己の欲望満足をできるだけ最大にしたいという行為を繰り返すうちに自然に発生するということです。

もうお分かりだと思います。これがスタドリやエナドリが貨幣として成立する原理です。

メンガーはこれについて次のように述べています。

「国家の境界内では、法秩序がふつう商品の貨幣性格にある影響を及ぼしている。その影響は、小さいけれども、否定することはできないものだ。貨幣の発生(貨幣の一つの変種に過ぎない鋳貨とは区別された)は、私たちが見てきたように、全く自然的なものであり、それゆえ、立法的影響が見られるのはごく稀な例に限られる。貨幣は国家が発明したものではない。貨幣は立法的行為が生み出したものでもない。政治権力による認証でさえ、貨幣の存在にとって必要なものではない。ある商品が全く自然に貨幣となるのは、国家権力とは独立した経済的関係の結果なのである。」 

そう、エナドリやスタドリという「貨幣」は決して運営が貨幣として生み出したものではありません。そして、MyエナドリやMyスタドリが存在する手前、エナドリやスタドリはほとんど使われません。極論を言えば、エナドリやスタドリが、その機能を果たさなくなっても、これらは貨幣の役割を演じ続けます。すなわち、貨幣とは国家が発明したり認証したりしたものではなく、経済的な営みの中で自然発生するものであるといえます。

 

いかがでしたか?「モバマスは経済」というワードから、カール・メンガーという経済学者の思想を紐解いてみましたが、かなりしっくり来たところもあるのではないでしょうか。もちろん、スミス、あるいはマーシャルのような主流派の価格決定論、すなわち需要と供給による価格決定という原理の方がモバマスのフリトレに合致している可能性も否定できません。しかし、メンガーのユニークな思想も一理あるのではないでしょうか。特に最後の貨幣の誕生の部分については、非常に類似している部分が多いと(勝手に)感じています。P各位においては、これをきっかけに経済思想への一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。もしかしたら、推しのアイドルをきっかけとして、貴方の世界がこの上なく広がっていくかもしれませんよ!(七尾百合子並感)

なお自分はメンガー以外の思想を出されたため経済学史の試験の単位が危うくなってしまいましたが、これもご愛嬌ということで。