就活戦線異状のみ

こんにちは。

世間では終活なるものが始まっているらしいですね。かくいう筆者も対象学年なわけですが、一応今年の就活についてはそこそこにやっとく程度に考えています。というのも、筆者は入学当初から院進希望でして、それなら今年に関しては就活なんてイベントに付き合ってやる必要は特にないわけです。そういうわけで自分は去年の夏も特にインターンなんてものには参加せず、一応冬にはセミナーやインターンに参加こそしたものの、業界研究やらなんやらというのはほぼしてこなかったわけです。

実際のところそれでいいとは思っていました。幸いテストの成績だけは良く、大学院を飛び級して1年で終われるプログラムの候補生にはなりましたし、周囲のオタクが余りにも息をするように院進していたので院に進むのがある種普通じゃないのかとも感じていました。また、せっかくこんな大学に来てるんだから修士は欲しいなどど考えていたため院に行く気は満々でした。この1月までは。

ゼミで研究をやってみたは良いのですが、これが想像していた以上に甘くなかった。モデルを組み立てて仮説を検討するというものだったのですが、基になったモデルを改変して実証的に使ってみるとうまくいかない。いくら計算しても数値が合わない。そもそも制約条件の設定があっているのかどうかすら分からない。何が分かっていて何が分からないのかすら分からなくなってくる。一応グループ研究ということにはなっていたのですが、自分以外の同回の人間はそもそも解くことを放棄しているのか解けないのかよくわかりませんが、全くアイデアやサーチした論文を出さず、モデルの検算ひとつしてこない。集まろうとしてもやれインターンセミナーだバイトだと顔を出さない。正直とても疲れました。そのうえそれを差し引いても研究の出来が酷かったのです。実際院に入ればこの作業を一人でやらなければならないわけですから、これを一人でもそれなりの結果を出せるくらいでなければ研究なんざ出来ないのは分かり切っています。

また筆者は大学の個別模試で2割を切ったことがあるレベルの英弱で、英語の論文を読んでも理解が出来ず、TOEFLも一番英語が出来た時期でさえiBT換算でやっと60そこそこというカス以下の存在です。日本語でさえリスニング出来ねえのに英語で出来るわけがないのです。

さらにいえば筆者は文系です。文系の修士、また博士がどのような待遇に遭うのかは周知のことでしょう。簡単に言えば学卒就職以上に将来が見えなくなってきたわけです。ふと周囲を見回せば院進していたオタクはみな理系です。なぜこんなに簡単なことに気づかなかったのか、今となっては理解に苦しみます。

おそらく自分は思い上がっていたのでしょう。以前の記事に書いた通り、筆者は盛大に中学受験に失敗したわけですが、その後進学コースに滑り込み、物理が怪しくなってきたところで文系に鞍替えし、そのおかげで予備校の模試でランキングにも載り、校内では敵なしになったことで、塵芥程度には残っていた自己肯定感が暴走したのだと思います。自分は学者になって世界を変えてやるだなんて考えてしまっていたのは遅すぎた中二病の発作のせいだったのでしょう。そんなわけで、大学に入り、自分より賢い人間の存在を知り、3回生の今になって非進学校症候群を見事に発症するに至りました。自分が勉強する数十倍のスピードで物事を吸収し、しかも彼らは筆者と違って勤勉です。(何故か自分の方がGPAは良いのですがその理由は不明です。) そんな人々が学卒就職するだなんて言っています。もう自信なんてこれっぽっちもありません。一方で学校の外ではそれなりに扱われていました。こうなると尊大な羞恥心と臆病な自尊心コースまっしぐらです。

翻って就活ですが、まず志望業界がありません。筆者の希望は、京都の実家に居座ることかそれと同等の可処分時間および可処分所得、待遇が公務員以上であること、そしてある程度世間に顔向けできる仕事であること。この3点です。つまり無理です。

では実家に居座ることを捨てた場合はどうでしょうか。たまに大企業のESを眺めていますが、どれを見ても学生時代に打ち込んだことは何なのかということを書かされます。しかしどうでしょうか。勉強に打ち込んだというにはあまりにもお粗末な研究結果、しかも多くの場合打ち込んだことで何かを成し遂げていなければなりませんが、何の成果もありません。そもそもが院進を前提にしていた計画だったため、学卒就職をしようとした時点ですべてが崩壊してしまいます。武器になるスキルも当然ながら存在しません。コミュ力もありません。まさかESに限界旅行を書くわけにもいきませんし。

では待遇を捨てればどうなるのでしょうか。答えは単純です。死にます。

3つ目を捨てた場合は?社会的な死が待っていることはまず間違いないでしょう。

更に現在筆者は無駄にリスク回避をしようとして就活・公務員試験・院試をトリプルトラックしている状態です。そもそもマルチタスクがほぼ不可能なタイプの人間がこのトリプルトラックをこなせるでしょうか。答えはひとつです。リスク回避をしようとしているくせに優柔不断なせいで寧ろリスクが増大しています。

もう終わりです。薄々感づいておられるとは思いますが、筆者は職業適性診断で芸術家を提示されるタイプの人間です。労働に向かないくせにアカデミアの世界に入る能力はない。諦めるにしてもとっくの昔に李徴になり果ててしまった人間に就活は恐らく無理です。もうすべてを投げ出してしまいたい。

現状最も有力なのは4回生の後期から1年間休学して公務員試験に注力することです。正直現状のペースだと今年の試験に間に合いません。万に一つ院に受かれば一応院進はしますが、受かる気が全くしませんし、そこでやっていける自信はありません。就活も同様に、李徴となってしまった自分が納得するところに通れば一番いいのですが、そんな姿勢では内定なんざ出ません。選考を突破する能力があるとも思えませんし、ガチガチに準備をするにしても先延ばしを繰り返して勝手に死んでしまうのが関の山でしょう。スカウトサービスに登録するなどもしてみましたが、箸にも棒にも掛からないような待遇しか寄越さない企業が、どいつもこいつも大学名だけ見て、書いたことを全く読んでいないことがモロバレの金太郎飴のような文章を送り付けてきてメールボックスを混沌の渦に落としています。人手不足の本質は奴隷が足りないということであるということがありありと見て取れます。本当にクソとしか言いようがありません。

人生とは一体何なのでしょうか。生まれついての気質や成長してきた環境によって全てが確定してしまう世界で、自分が生きる意味とは何なのでしょうか。無駄に知識を付けてしまったがために、無駄に世界の残酷さを知ってしまったがために、夢を追うことなどとうの昔に諦めてしまいました。でも、働かなくとも生きていけるほど実家が太ければ夢を追っても問題がなかったわけです。そうであれば筆者だって喜んで夢を追いました。あるいは不安定な身分だったとして、例えば役者の卵に見られるように、バイトをしないと稼ぎがないような状況でも、ちゃんと高度に、文化的に生きていける程度の収入があれば、安心して自分のやりたいことを追えるわけです。ではなぜ世界はそうなっていないのでしょうか。答えは簡単です。肥え太った資本家―あるいは金利生活者と言っても良いですが―が富を独占しているからに他なりません。近代経済学の祖として有名なケインズも「金利生活者は〇ね」という趣旨の主張をしています。ワルラスは資本家の存在自体を許容しません。マーシャルも、資本家の存在は肯定しつつ、労働者の卓越を阻害する資本家については強く糾弾しています。

即ち、諸悪の根源は資本家なのです。そして彼らは当然倒されねばなりません。

 

万国の労働者よ、今こそ団結の時だ!

起て!今こそ我らの手に生きる意味を取り戻す刻である!

(おわり)