「ない」

人生が辛い。

恐らく世間の人々が僕のステータスだけを見たら、何を甘えたことをと言うのだろう。
世間的には良いとされる大学に所属している。
生活自体に何一つ不自由はなく、就職活動に全滑りしたとはいえ大学院という進路は一応用意されている。
けれど、自分には大学の名前しかない。スキルもなければ熱意もない。コミュニケーションに難を抱えている。
そもそも飛び級で大学院の授業を受けたときにレベルが違いすぎて心が折れた。
今年からカリキュラムが変わったせいで救済措置になる授業が抹消されたので、もしかしたら卒業すら出来ないかもしれない。
修士論文を書こうにも、最初に決めた研究計画のテーマへの興味をとうに失ってしまった。
プログラムか何かを勉強しようにも、頭が理解を拒む。そもそも物が覚えられない。
けれども障害を抱えているわけではない。以前研究に参加したときには「限りなく黒に近いグレー」と言われた。
周囲はさっさと世間的に高いステータスの企業に内定をもらって残りの大学生活を楽しんでいる。
グループ研究を僕に押し付けて行ったインターンからきっちり内定を獲得している奴もいた。
僕はそこまで要領よく生きられない。同じ期間にいくつもタスクを回すことが出来ない。
でも周りには世間的に高い地位の大学から高い地位の企業への雲梯渡りに成功した人しかいない。

 

僕は一体何なんだろう。
人と話すときに言葉に詰まる。不明瞭。そもそも言語を使うのも覚えるのもヘタクソだ。
頭から出てくるイメージを成形してなんとかアウトプットしようとしても、結局追いつかない。
考えるのと喋るのとを同時にこなすことが出来ない。頭が回らない。集中力が散漫になる。
頭の中のイメージを言語化するのにとてつもない時間がかかる。少しズレると処理落ちする。
無理矢理言うなら霧がかかった山の風景から家を探し出して特徴を説明する作業。
人はみな、僕を指して「説明がヘタクソ」だという。否定のしようがない。
言語化しているとき、自分の頭の中のイメージと言語化処理が進行している内容とが混濁する。
言語化処理というボトルネックに大量の流れが押し寄せて越流するという言い方のほうが分かりやすいかもしれない。
考えずに話せば詰まることはあまりない。でもそうすると100%ボロがでる。思っていることをそのまま口にしてしまう。嘘や方便を使えない。
当然そんなのでは内定なんて出ない。実際出なかった。
万に一つ大学院を出られたとしても同じことを繰り返すに違いない。

仕事なんて選ばなければ何でもあると人は言う。
じゃあ僕が少年期をボロボロにされ、青春を無かったことにしてまで得たものは何だったのか。
最後に奈落に落とされて虚無を生産するためだけのものだったのか。
その考えが卑しいことなんて言われなくても分かっている。
それでも二十余年の人生の多くを投入して得られたものがこの程度なのには全くもって納得いかない。
納得しないといけないことも分かっている。
でも納得してしまうと本当にすべてが終わってしまう。

 

僕は元来周りからの目線だけを気にして生きてきた人間なのだ。小学生のころからそうだった。
大学受験も、そもそも院進だって、周りの目を気にした末の結論だった。
自分の持っていた夢を「現実」という言葉で切り捨てた。
それで人々は評価してくれた。それ以外に評価される術を知らなかった。
周りからの評価以外で自分の存在を肯定する方法なんてわからない。
自分はとんでもない愚図で無能だから、自分を認めるためには有能と同じラベルを貼って、人の目を欺くしかない。
僕は子供のころから自分と世の中との関係をそういう風に理解していた。
実際そうだった。僕は中高で浮いていたけれど、大学に受かった瞬間にみんな掌を返した。
返さなかったのは数少ない友人たちだけだった。
そういう人間が周りからの評価という一番の軸を失ってしまうとどうなるか。
しかも、もう有能のラベルは貼れない。就職は受験とは違う。やればやった分だけ伸びることはない。コミュニケーション能力は勉強しても身には着かない。他人の目を気にして安いハッタリだけで生きてきた臆病な人間にはなおさらだ。

 

そのうえラベルを貼って誤魔化しているうちに自分は上にいることに慣れてしまっていた。
そして上にいることに執着するようになった。自己顕示欲を満たす方法をそれしか知らなかった。
自分が上にいないことが納得できないようになってしまった。
けれどいざ自身の脱落を突きつけられたとき、そこに慣れきった人間はもう何もできない。
そのカエルはとっくに釜茹でになって絶命した後なのだ。

 

パートナーでも居れば変わったのかもしれない。でもそんなものはない。

 

とにかく何もかもがズレている。そして僕は自分でも嫌になるほど我儘で、甘ったれで、プライドの塊で、そのくせ社会に適合できない無能だ。
どこまでも歪みきっていて、どこまでも怠惰に堕ちきっている。質の悪いことにそれを自覚してすらいる。
李徴よりもひどい何かに成り果てながら、何もできない自分が情けない。
けれど何もできない。何かをする気力もない。
夜、床についてそれを思い返しては辛くなることしかできない。


けれど涙はこぼれない。子供の頃、涙をこぼすと誰も評価してくれなかったから。


けれど相談することは出来ない。甘えが残った相談をしても誰も評価してくれなかったから。


けれど妥協することは出来ない。妥協をするとみんなが評価してくれた自分が消えてしまうから。


けれど自分の夢を呼び戻すことは出来ない。ラベルを積み上げすぎて、今更夢を追っても誰も評価してくれないから。

 

他人による承認を求めるだけのゾンビは、最早生きているべきではないのかもしれない。


けれど死ぬことは出来ない。死んでも誰も評価してくれないから。

 

とにかく、僕には、何もない。