つけ麺マンを偲んで

偲びません。

さて、今回は自分が2年かけて回った百万遍交差点周辺のメシについて簡単にまとめる記事となります。店名と一言コメントだけの手抜き仕様ですがご容赦ください。

 

1.つけ麺マン

今月末でご臨終。1回生の時は割と行ってた。濃厚つけ麺を売りにしているが濃さは普通。2年で最低2回は味が変わってる。最初に変わった時はゲロマズだったのでその時に固定客が離れたのが致命傷になったのではと思料。

2.RAJU

インドカレーの店。最近ビリヤニも始めた。900~1000円くらい。味は普通。チキンの煮込みは旨い。ひたすらナンを食えるので空腹時はいいかも。

3.こあの助

1回生の終わりくらいに突如として出現したタイカレー屋。最近トムヤムも始めた。普通の丼物もよく出す。味は割とすき。

4.ミリオン

喫茶店の皮を被ったハンバーグの店。味は普通だが割と高い。

5.にぼ次郎

百万遍交差点周辺唯一の次郎系。人を選ぶ味。ラーメンよりつけ麺と油そばのが旨い。毎月26日に次郎券なるスタンプカードを配布するが、1杯無料を勝ち取るためには10日で5回通わなければならないので地獄。

6.伝丸

ゲロ。犬の餌にも劣る。

7.凛屋

1回生の夏にできたパスタの店。オープン当初は割と通ってて好きだったけどインスタ蠅が湧いたので見限った。

8.(店名不詳)

↑の更に北側にある小さなフレンチなのかイタリアンなのかよくわからん店。味は普通だがやっぱり高い。店は近所の母親たちの集会所みたいになっていてどうも居心地がよくない。

9.アジョシ

韓国冷麺の店を自称しているがランチでは牛スジ丼かプルコギしか出さない。大して量も多くなく味も特徴が無いので多分そのうちランチ営業やめると思う。

10.キラメキJAPAN

キラメキグループの店。狭い以外は全体的に良い。クオリティの高いまぜそばで腹いっぱいになれるのでいっつも並んでる。

11.ジェイムズキッチン

通称JK。京大のオタクが「JKごちそうさん」などどほざいてるときは大体ここ。ハンバーグの店でランチタイムはご飯おかわり自由。しかも初回以外は100円券を毎回配布してくるので実質メニューの100円引きで食える。

12.(店名不詳)

JKのさらに北にあるインド料理店(?)。980円でカレーバイキングをやってるが客がそんなに入ってない。実は1回バイキングやめてて何故かもう1回始めてる。味はRAJUより多少落ちる。

13.おくだ

とんかつの店。飛鳥井まで歩くのでもはや百万遍ではない。いつも並んでる。味は普通にうまい。かつ丼ならコスパも良好。

14.上海菜苑"和盛楼"

北部キャンパスの裏だけど許して。なんか最近中国人経営に変わったらしい。ただし味はそんなに変わってない。全体的にうまい。でもさほど安くもないので学生はこない。強いて言うなら外国人学生の歓迎会によく使われてる

15.コウシン

漢字書くのがだるい。中華料理屋。量が多いのと3回通えば100円引き、6回で半額というサービスが強み。当初はアホみたいに定食メニューがあったが最近減った。以前は唐揚げが半生だったりスープに虫が浮いてたりしたが最近はちゃんとしてきてる。

16.ハイライト

なんかよく持ちあげられてる定食屋。火曜日と金曜日は金券がもらえる。おかずは多いがご飯の量が見合ってないのでいつもおかずが余る。

17.アオゾラ

イカレー屋。最近こあの助に牙城を崩されつつある。味は普通だがインスタ蠅が大量湧きすることもある。

18.力餅

詳しい店名は知らん。マクドの裏辺りにある。丼ものはうまい。ただ高い。

19.ムーンスターケバブ

この5月に現れた新星。ルネでケバブ食うよりこっちで食った方が圧倒的にコスパが良い。場合によっては生協未満の値段なので経営が不安になる。

20.やまぢゅう

普通のお好み焼き屋。それ以上でもそれ以下でもない。

21.フジ

普通のお好み焼き屋。素焼きダブルで死ぬほど食えるが100%飽きる。

22.おむらはうす

オムライスの店。味は旨い方だと思う。店外の文字のフォントが絶望先生。但し1000円は普通にかかるので学生にはつらい。

23.京亀

ランチタイムはラーメン+唐揚げ+白飯で930円。ホルモンラーメンが一押し。空いているうえに座敷なのでのんびりできる。

24.譽紫

ビルの地下にあるうどん屋。味は普通。値段もその辺の店と大して変わらん。

25.きむら

金平糖の清水の道にある串カツの店。昼はソースかつ丼をやってる。値段は高めで量も少ないが普通にうまい。

26.たく味

夜遅くまでやってるラーメン屋。チャーシュー麺にはアホみたいにチャーシューが乗ってる。唐揚げがクッソ塩辛い。値段はその辺のラーメン屋と変わらない。

27.Le Cafe

フランス総領事館に併設されているカフェ。ランチタイムはフランス語が飛び交う。雰囲気は最高。メニューはかなり割高だがフランス価格だとおもって割り切るのが吉。味は普通。

28.らぁ麺今出川

今出川ブラックなどとのたまっているが違いがよくわからん。味は普通。値段も普通。

29.吉田チキン

坂を上ったところにある店。昼間っからグリルチキンの半羽が食える。値段は普通。味も突出しているということはないが割と良い方。

30.鷭

最終兵器。店はボロい。400円で2合くらい飯の入った丼ものを食える。味は家庭的な感じ。いつも並んでいて、「3限はあきらめろ」という掲示が出ている。店からの注文がやたら壁に描かれててうるさい。

31.とくら

魚を売りにした店。量は普通だが昼にうまい魚が食いたいならここ。但し平気で1200円くらい飛んでいく。

32.楽楽楽

濃厚つけ麺を売りにしてるくせに昼はつけ麺やってない。味も値段も特筆すべきところはない。

33.里の家

飛鳥井。昼間っから焼肉が食える。~1080円なのでコスパは悪くない。夜の食い飲み放題は価格が崩壊しているので一度は行くべき。

34.ファラフェルガーデン

最早百万遍ではなく出町柳イスラエル料理の店。値段は割高だが旨い。~1500円くらいで考えとかないと空腹で店を出ることになる。

35.華祥

中華料理屋。ここも飛鳥井。この近辺の中華料理屋で一番洒落てる感じ。味は良い方。値段も1000円行かないので許容範囲内。

36.長江辺

悪いことは言わんからやめとけ

37.(店名不詳)

百万遍から東の坂を上ったところにあるハワイを意識してるけどよくわからん店。量は大したことないが味は良い。

 

他にもいくつかありますがまあ今のところは秘密ってことで。

アイドルマスターシンデレラガールズ 第1回 チキチキカメラのCMキャラクター選手権!!!!

一眼歴半年くらいのETRです。α7Ⅲと100-400と24-105 欲しい!(気さくな挨拶)
さて今回はタイトルの通りです。モバマスキャラから会社ごとにキャンペーンガールを選んでいきます。余裕があったらぼんやり広告の内容も考えていきます。あとイメージは基本的に一眼/ミラーレスのみです。選定基準はロゴマーク/製品/ブランドイメージとキャラの相性その他となります。
ではさっそく行きましょう。

Canon

1.安部菜々 
いきなり合わなさそうだけどEOS Mとかが案外合いそう。キャンペーン媒体はポスター等。映像だと当人のイメージが邪魔しかねない気がする。楽しく手軽なミラーレスを演出する方向で。

2.遊佐こずえ
キャンペーンってか撮影対象。CMで日常風景を切り取る感じで。個人的に一番しっくりくる。子供の撮影、家族感の演出ならkiss系か。

3.新田美波
Nikonではない。SONYのイメージでもない。他の会社のイメージでもない。なんとなくCanonを持たせたい。EOS7Dとかの中級モデルっぽさがある。「…私は新しい世界を見るのが好き。」あたりのセリフで始めて「新しいEOSの世界へ。」で〆るクールなタイプのCMが良さげ。あどけなさと大人っぽさとがまじりあっている美波だからこその中級機起用。

4.江上椿
大本命。デレマス世界のカメラ沼の主。これは彼女の好きなようにやらせればいいんじゃないんですかね(適当) 花とかポトレが好きな描写があるのでその辺を重点的に。EOS5D Mk.IV。

5.太田優
犬はCanonのイメージ。CMもアッキーと絡んでもらえれば。大きすぎても室内撮りには向かないのでエントリーモデル。

6.小日向美穂
小日向美穂やぞ!ここまでCuキャラが固まってると最早色で選んでる疑惑が出てきそう。熊本の風景をEOS kissで撮る感じ。やっぱりクソデカカメラを女性キャラでやるのは無理がある気がしないでもない。

7.相葉夕美
花もやっぱりCanonなイメージ。EOS7D使ってフラワーガーデンとかでロケとか。
「自分の目で見るのも好きだけど、ファインダーを通して見るとまた一味違う。」みたいに。あとは高山のお花畑でも良さげ。「私が私になるための」とはlilac timeからの引用だけどこの辺りのフレーズが使えそう。

8.並木芽衣
旅好きなのでカメラは持ってもらう(強制)
見知らぬ街の喫茶店の風景とか車窓に現れた峡谷を撮ってるシーンを合わせればすぐCMができそう。ただ当人は身軽な方が良いらしいのでエントリー機かEOS Mになる。

9.鷹富士茄子
被写体枠。幸運な瞬間を取り逃さないみたいなテイスト。フォーカスの速さなら7Dあたりか。柔らかで暖かなイメージなのでCanonということに。

10.LiPPS
被写体枠。完全にシャレ。

11.水本ゆかり
被写体枠。なんかティンと来た。なぜかはよくわかってない。なんとなく白くて清いイメージとCanonが合う気がしただけかも。

12.メロウ・イエロー
被ってるけどこっちは3人でEOS Mを持ってもらいたい。ユニットになるとまた合うカメラが違う感じになる気がする(今更)

13.橘ありす
公式では無いけど成長後の姿と一緒に見たい感はある。EOS Mから始まって5年後にはフルサイズ機持ってそう。先にキャンペーン打っといて後からその時の映像と新しく撮ったのをCMに使う。

14.島村卯月
被写体枠。これはCanonの顔してますわ(言いがかり)
「最高の笑顔をEOSで」みたいな感じ。


Nikon

1.丹羽仁美
名古屋だろ?歴史だろ?黄色だろ?Nikonだな(強引)
青い空の下で史跡をかけずり回る。ふと何かあるのを感じてシャッターを切って、でも誰もいない。「兵どもが夢の跡…」と呟くと武将が現れる。そこでNikonの伝統的なイメージを強調する。兵は重いもの持ってるけど足軽は武器だけなのでD5600かD7500。D500とかはさすがに大きすぎる。「過去も未来も」みたいな。あれ?これトラプリじゃね?

2.関裕美
被写体枠。自分が好きなだけともいう。パエリア黄色やん。スペインも黄色やん。Nikonだな(強引) 冗談はさておき、さっきの歴史もそうだけどNikonってなんかストーリー性を持ったものに合いそうな感じ。きつい目つき→表情がほぐれる→最高の笑顔 で組める。イメージとしてはD5600あたり。やっぱりクソデカカメラという感じはしない。

3.原田美世
クソデカカメラを持たせても良くてかつNikonと合いそうなキャラ。ドライブして海に辿り着いておもむろに助手席からクソデカカメラを生やしてみる。多分CGでD500/D850をあてがえる数少ないキャラじゃねえかなと。

4.伊集院惠
D7500あたり持ってポスターに映ってても違和感なさ過ぎてヤバい。荒野をバックに「導くままに、どこへでも。」とか。ひょっとしたらNikonで選んだキャラの中じゃ一番のアタリかも。

5.瀬名詩織
海をバックにするのは確定。イメージ的にあんまり重いもの持たせられないしD3400か、あっても5600まで。というか被写体枠にしてもめっちゃ映えそう。「世界はこんなにも広くて、美しい。」あたりのフレーズが使えそう。

6.桃井あずき
被写体枠。艶娘大作戦のイラスト見てたらティンと来た。

7.吉岡沙紀
写真もアートなので引きずり込むのは確定(無慈悲)
案外D850持たせてドはまりしてる姿をCMにするってのも良さげ。
あとは壁に風景をペイントしてる→完成→フェードイン→ファインダー→カメラ構えてる姿とか。「感性を引き出す」をコンセプトとした感じに。

8.宮本フレデリカ
なんとなく。さっきLiPPS出たけどあれは被写体枠だし多少はね?
キャッチコピーは「私を、ちょっと本気にする出会い。」とかで。やっぱりクソデカメラは持たせられないのでD7500か。本気っつてるのにエントリー機じゃちょっとアレかもだし。

9.前川みく
真面目な前川さんモードで。やっぱりD7500くらいになりそう。高校生にD3桁持たすのはやっぱり抵抗がある。「無邪気な夢はだれにも止められない」というフレーズをどこかにはめたい。

10.木村夏樹
ツーリングして撮影。美世とおんなじような構成だけどカッコよさは絶対こっちの方が上。Rockin′Emotionの歌詞から「今を刻もう。」とか。こっちは逆にD500を持たせた方が良い気がする。

11.柊志乃
ワインツーリズムとかカメラでしょ(謎論理) こいついっつも酒持ってんな。“成熟”がキーワードらしいのでDf。変化球キャラには変化球カメラをって感じ。

12.中野有香
被写体枠。黒背景に空手の型って絶対画になるよね。頭の中に映像はあるのにイメージで出せないもどかしさ。太陽より熱く!から連想して「王道は、新たな境地へ。」とか。

13.向井拓海
クソデカメラ担当居たわ。腕っ節自慢なんだしNikonとコラボしてキャンペーン打つとなったら起用待ったなし。イメージが完全に夏なのでサマーキャンペーンのイメージキャラクターに。「Nikonで最高の夏を」つってD850を持たせる。


SONY

1.高峰のあ
アンドロイド疑惑のある人。スタイリッシュで洗練された感じがSONY。ぶっ壊れミラーレスのα6500とかα7Ⅲで起用してみたい。「すべての欲求が昇華する」みたいな感じで。

2.高垣楓
やっぱり寒色系って全部SONYなんですよ(強引) 命燃やして恋せよ乙女のカードから連想して「さあ、第二の青春を始めよう」というフレーズを使ってみたい。間違えっても駄洒落を言わせてはいけない。でもエントリー機だとなんとなくもったいないのでやっぱりα7系か。
第二の青春(大散財)

3.Triad Primus
蒼っつったらSONYなんだよ!!!!!!!!!
「さあ、一緒に輝こう!(SONY沼に引きずり込む)」
冗談抜きでイメージとしては完璧だと思う。
加蓮はα7SⅡ、奈緒はα7RⅡ、凛はα7Ⅱでα7トリオをアピールしてみたりとか。

4.塩見周子
老舗の実家ほっぽりだしてアイドルやってる=しがらみや常識にとらわれない=実質SONY。「伝統と思い出はあたしの中に。停滞としがらみは、ここでバイバイ。」ってセリフが丸々使える。キャンペーン対象はα7RⅢ。α7Ⅲじゃないのはちょっとあまのじゃくっぽさを入れたかったから。

5.小松伊吹
被写体枠。ストリートダンスとかスケボーとかのAFがめっちゃ役に立つようなのをやってもらう。

6.浜口あやめ
アイエエエ!ニンジャナンデ!?
忍者をメインにしたCMとか打てそう
潜入任務→ターゲットに接近→カメラを抜く→高速瞳AF&連射→ターゲット「ぐあああああ(眼を押さえる)」→走りながらスマホにデータを移す→闇夜を駆け抜けていく
α6500 or α7Ⅲ

7.一ノ瀬志希
ギフテッド=高度・洗練・先進=実質SONY
アイロニカル・エトランゼから連想して「再現できない、その瞬間を。」という感じで。妖しいイメージなのでなんとなくα7S系。SONYさん、SⅢで4k60p待ってます。

8.佐城雪美
被写体枠。佐城雪美はSONY、いいね?
瞳AFとかのセールスポイントをいかんなく発揮できる気がする。具体的なイメージはない。

9.三船美優
クールはSONY(暴論)
可憐でか弱いイメージからミラーレス。だから5100とか6000とかの比較的小さな機種向き。ストーリー仕立てのCMが合いそう。いろんなコミュから連想して「前を向こう。」というフレーズで〆れば完璧。

10.アナスタシア
オールドレンズで遊んでもらおう!以上!

11.鷺沢文香
被写体枠。クールはSONY(天丼)
室内や暗めのシチュエーションとなるとやっぱりSの面目躍如。
α7SⅡ/SⅢでひとつ。

12.工藤忍
目が青いな?よしお前はSONYだ(無慈悲)
冗談は置いといて、どこまでいっても夢追い人な娘なので浪漫詰込み主義のSONYと合いそう。里帰りして雪景色を撮るCMとかポスターで。


PENTAX

1.大和亜季
耐久推しのペンタは軍曹一択。もう全部あいつ一人で良いんじゃないかな。
過酷な環境を乗り越えて辿り着いた先に待っていた景色を撮るっていうかなりベタな流れでやっても画になりそう。


OLYMPUS

1.高森藍子
お散歩カメラとか実質OLYMPUSでしょ。
フォーサーズのカメラのサイズ感とか軽さとかもろもろがすごく合いそう。
深緑の魔女の特訓前に「パシャッ♪隙ありですよ、(名前)さんっ」というセリフがあるので使えそう。APSフォーマットのカメラは落とす(確信)

2.真中美里
旅行好きキャラ。言動からしインスタ映えを重視する現代の10~20代女性っぽさを感じる。すなわちOLYMPUSのメイン顧客にピッタリ合う。

3.喜多見柚
あざとい。これもティンと来た。
CM自体はデートシチュが一番よさげ。


LUMIX

1.和久井留美
完全にシャレ。でも暗い場所のイメージがあるし割と良さそう。ミスティックブルーの場面でGH5Sの高感度性能をアピールとか。結構様になると思う。


SIGMA

1.二宮飛鳥
被写体枠じゃなくて本人に持たせる。一匹狼ぶってたけど親和性ありまくりって感じ。
レンズのマウント交換サービスとかあるしそれを当人が交流を広めていく流れと合わせればいいと思う。


Fujifilm

1.小早川紗枝
私服が着物だし先進的だけど名前が錯誤的なFujiと合うかなって(適当)
元になったセリフとかはないけど「今日からはちょっとハイカラに」って感じ。


Leica

1.西園寺琴歌
お嬢様。実質それだけで選んだ感はあるけどLeicaも実際高貴やん?
Leicaの機材はよく知らんのでブランドのトータルイメージあたりで。

 

結論:画力とα7Ⅲと100-400と24-105 欲しい!


今回も今回で暫定版なので更新するかもしれません。
ちゃんと吟味して選定したつもりですがこのキャラおらんやんけ!って人は言ってください。「」内は一部除いてちゃんと当人のセリフに準拠してるので暇な人は探してみてね。

処女厨の疑問

こんにちは。前回の予告とは異なりますが今回は処女厨として世間に対して抱いている疑問点をつらつら書き連ねていってみたいと思います。キツイですがお付き合いください。

 

疑問1.なぜ市井の人々は非処女を許容できるのか

第一にして最も大きな疑問です。処女厨になり果てた身からすると本当に理解に苦しみます。自身のキャリアの歪みや将来のことなどを全く度外視して刹那的な欲求のために人間として最も大事なものを捨て去るという選択をした人々をなぜ許容できるのか。将来子供ができたとき、子供が宿るその場所に他の人間の残滓が残っているということは子供に対して全く不誠実なことではないのか。いや、そもそも処女を馬鹿にする風潮がそれを追認させているのか。男は性欲が発散できればそれでいいのか。それは本当の愛と呼べるのか。STDだってある、その後遺症で子供が出来ないことだってある。そんな大きすぎるリスクを許容できるのか。相手の過去の軽はずみな行為のために将来の幸福が消滅しても構わないのか。なぜ許容できるのか理解できません。

 

疑問2.なぜ最初の相手になった男がその女を捨てるのか

第二にして二番目に大きな疑問です。よしんば婚前交渉をしたとしても、その相手とくっついてしまえば問題は無いのです。恋愛市場に非処女が放出されることはなくなるのです。なぜ男は別れようとするのか。なぜ女も別れようとするのか。他の女や男が目に入ることもあるでしょうが、最後まで責任を取らなきゃならんのに、どうしてそれを放棄しようとするのか。そもそも奪うだけ奪って捨てる男がいるのが本当に信じられない。反吐が出る。そんな男はさっさと絶滅してくれという感情しか浮かびません。

 

疑問3.なぜ少子化の責任を問われねばならないのか

当たり前です。こんなクソみたいな世の中で恋愛なんてできないのですから。そりゃモテる見た目なんてしているつもりはありませんが、見た目で判断は良くないんでしたよね、マッチョイズムの支配者の皆さん? 理性と合理の果てに生まれた処女厨にはこんな地雷原を歩くなんてこと出来るわけがありません。従って少子化も当然です。そんなことも理解できないのなら馬鹿を縮小再生産しつづけて26世紀青年よろしくさっさと滅んでください。

 

疑問4.なぜ処女厨は器が小さいと言われなければならないのか

当然の疑問です。多くのマッチョイズム・チンパンジー達は「相手の過去にこだわるなんて器の小さい人間だ」と言います。しかし我々はあくまで理性的かつ合理的な判断ができる人間を恋人に、あるいは伴侶にしたいだけなのです。リスクが大きすぎる行為を敢えてする必要なんてありません。自分たちの将来に対しても、人間理性に対しても、ちゃんとした判断が出来る人間と愛し合いたいのです。一時の快楽や雰囲気に流され、人間たるの資格を失った動物たちにそんなことを言われる筋合いはありません。こだわらないことが愛というならそれは未開生物の思い上がりです。快楽や雰囲気にかまけて理性を捨てたその時から、恋愛と呼ばれたその営みはただ性欲の傘下にのみ入るのです。そしてどこかで妥協すると必ずどこかで綻びが出ます。そして貴方がたは付き合って別れてを繰り返すのです。それを愛と呼べますか?下半身に振り回されているだけの委縮した脳に価値はありません。そんなに快楽が欲しいならヘロインでもキメててください。

 

疲れたのでこの辺にしときます。次回こそイタリア語をやります。

如何にコンテンツは劣化したか―ウンベルト・エーコのコラムから

明けましておめでとうございます(1か月遅れ)

周知のことかと思いますが筆者は大学生であり、ここ1か月はテストに追われていた(くせに本番爆死した)ので全く更新がありませんでしたが、ぼちぼち再開していこうかと思います。

さて、今回は少し真面目なテーマです。以前よりオルソンブログ等でテレビコンテンツの劣化などが論じられていたのでそれに便乗します。少し古いものになりますが2001年にイタリアの哲学者であるウンベルト・エーコによってL'Espresso紙に寄稿されたコラム"Pochi navigano su molti canali"を解説しながら、如何にイタリアのテレビが劣化したかを読み解きつつ、日本の状況との類似性について考えていこうと思います。とはいってもイタリア人の知り合いなんてほぼいませんし、イタリアの現況はエーコによる記述のみに頼ることになるので正確性がある程度犠牲になることをご容赦願います。では始めていきましょう。

まずエーコはアルド・グラッソがCorriere della Sera紙に寄せた、過去の番組の再放送を歓迎する内容の批評を取り上げます。グラッソ曰く"かってのバラエティは喜劇性の無尽蔵な宝庫"であり"今日のそれはbalbettare=たどたどしい"というのです。同時にグラッソは、昔はプロの喜劇師によって、現在は普通の人々の存在に凭れ掛ることで番組が作られていると指摘しています。これについてエーコは、"間違いなく正しいが、一側面でしかない"と記述しています。

初期のTVは1チャンネルのみで(のちに2チャンネルに増えた)、バラエティは週に1度、それゆえ必要なコメディアンの数は知れています。そういうわけでテレビに出られるのは数十年の下積みや修行に裏打ちされた実力者か、それに類するレベルの人間しか出られませんでした。しかし現代は毎日2回、10チャンネル分のバラエティが存在しており、また日本のように同じ面々をドカドカ出すという文化はないため、それだけ大量のコメディアンを発掘する必要があります。そういうわけでイタリアのテレビ局は片っ端からコメディアンを寄せ集め、また素人だろうと多少目立つ特徴があればためらいなく取り込んでしまうようになりました。エーコはこの状況を"si devono scaraventare in video non solo gli esordienti dell'ultimo cabaret, ma persino quelli che sono ancora sulla strada tra il bar del paese e il cabaret del capoluogo vicino." "テレビ制作者は場末のキャバレーの新人芸人だけでなく、そこに行くまでの道端にいるような(デビューさえしていない)どうでもいい人間をもテレビの中に移動させる必要があった"と痛烈に批判しています。当然そのような状態だと、たまにはすごい人間が現れることもありますが、そのうち世間に転がる才能を刈りつくしてしまいます。こうなると後はジリ貧です。

エーコはこの問題をテレビ製作者の低俗化ではなく、過度なチャンネルの増加が原因であると指摘します。

そもそもチャンネルとは何なのでしょうか。テレビはmedium、つまり仲立ちするものです。ここでの仲立ちの対象は情報ですが、これに限らず水や人も仲立ちの対象になります。それゆえ古代から様々なチャンネルがつくられてきました。水を通すためにローマの水道橋が生まれたり、人や物を通すためにアッピア街道が整備されたり、飛行機や鉄道が発明されたりしたのがその例です。

以前はチャンネルの容量以上の通すものが存在したためチャンネルの増設が急務でした。そしてそれがある程度需要を満たしてくると、今度はチャンネルが余るようになります。しかし一度増えはじめたチャンネルは、指数関数的に増加していき、ついに止めることも減らすこともも出来なくなってしまいます。一方で増えすぎたチャンネルにはその分だけ維持費がかかります。

もしこうなったときには何が起こるのでしょうか。エーコは"人為的なトレンドの量産"が起こると指摘します。例えば高速道路をつくりすぎたときに何が起こるかというと、旅行業界と高速道路の事業主体が結託してその空いているチャンネルを満たすようなトレンドを勝手に内部で作り出すというのです。"誰かに会うならインターネットがあり、会わなくてもいいからチャンネルが余っている。それを正当化するために遠出したところで会うというトレンドがつくられる。"と彼は言います。(もっともこれについては議論の余地がありますが) また彼は携帯電話についても、"その数は人々の言うべき事を上回っており、それゆえどうでもいいやり取りを作り出す必要があり、変に高度な機能を携帯電話につけ始める"というスマホ全盛期の今からすると考えられないようなことを言っています。

そして最後に、テレビ番組の劣化の問題は"余り過ぎたチャンネルのために競争や流行が内製化され、実際の需要には一切応えない"ことに帰結するとエーコは結論付けます。放っておいても継続的にコンテンツになりそうな人間は概ね刈りつくしてしまう。だから社員たちはそのためのコンテンツを一回きりだろうが何だろうが必死になって探す。そしてそれをブームに仕立て上げ、一時的にチャンネルを満たすことを繰り返す。そしてそれはさらなるテレビ離れへとつながり、無際限に増え続けるチャンネルとともに、テレビは勝手に沈んでいくということなのでしょう。

 

以上がテレビ番組の劣化に対するエーコの主張の要約です。どこかで見たような話もあれば、聞いたこともないような話もあることでしょう。このコラムの最も大切なところは最後の部分です。ここではブームの内製化にしか言及されていませんが、それ以外にも成功したものに盲目的に追随することも競争の内製化に含まれるのかもしれません。ここまで見れば、現代の日本のバラエティ番組の劣化との類似性が見えてくることだろうと思います。ネットから引っ張ってきた映像を垂れ流す、流行ってもいないものをブームに仕立て上げ、それについての特集で放送時間を埋める、センセーショナルな話題を挙って延々と放送し続けるなど、近年のテレビに対する不満の一部とばっちり一致しています。但し、当然のことながら相違点もあります。最も大きなものとして、ここではチャンネルが余っている、放送すべきものを全て放送しているという前提で論が展開されていますが、実際はそうではありません。むしろ問題なのはそちらの方とも言えますが、これ以上言及するのはやめておきます。

あるいは序盤の記述は一時期山のようにあったお笑い番組の急速な減少の原因として考えることができるかもしれません。ネタの生産速度はそれほど速くない、同じネタが出てくると視聴者は飽きる、そうでなくても出すぎると不満が出る、そしてそもそも一般受けする芸人の量は限られているため、そのうち刈りつくしてしまう。これらの要因からお笑い番組が急速に衰退してしまった、とモデル化することも出来ます。尤も現実はもっと複雑でしょうし、この解釈はおそらく正確ではないのでしょうが。

ともかく、これが2000年前後のイタリアで起きていた事象とそれに対する簡単な(考察未満の)付け足しです。付け足しの方がえらく適当で貧弱で雑ですが、おそらく普通に生きていたらイタリア人のこういう主張なんて目に入ってこないでしょうし、この記事が何かのヒントになれば幸いです。次回は「まいかドリル DE イタリア語」の第3回になると思いますのでそちらも併せてお願いします。

 

参考・引用

Umberto Eco, Pochi navigano su molti canali, in <<L'Espresso>>, 20 settembre 2001, p.218.

ブレンド・S まいかドリルを解説してみた 第2回

こんにちは。前回は随分アレな記事を投げましたが今回は通常運転に戻ります。

さて、前々回まいかドリルの解説を上げたところそれなりの反響をいただいたので今回はその続きということなんですが,まいかドリルを欠かさずご覧になっている各位はあることに気づいてしまったかと思われます。そう、まいかドリルは

回を経るごとに簡単になっているのです

自分も久々に覗いて目を疑いました。第1回の第1問で接続法半過去なんてものをぶっこんで来たくせに第5回以降は現在・近過去・未来形以外のものをほとんど出題していないのです。第8回の1,3問目と第6回の3問目以外は間違いようのないクッソ簡単な問題しかありません。とはいってもその3問も現在形や近過去形でしかないので(第8回の3問目は例外的に条件法ですが)単語さえわかってしまえば普通に分かります。となると結局単語の解説くらいしかすることが無くなってしまうわけですね。なので方針転換が必要となるわけです。つまりまいかドリル自体の解説は一旦放棄し,まいかドリルを題材としてイタリア語の解説をしていく方向への転換をするということになります。これならまだやれそうですね。ということで第2回,始めていきましょう。

 

☆イタリア語の現在形

現在形自体の解説は不要かと思います。結局は英語と同じくその時の動作や状態,あるいは周知の事実なんかを表すときに使います。

さて現在形とはいえ動詞の活用は普通に牙をむいてきます。ここでは代表的なもののみを紹介しましょう。

  • are動詞:cantare(歌う), amare(愛する)などareで終わる動詞
  • ere動詞:vedere(見る), vincere(勝つ)などereで終わる動詞
  • ire動詞:dormire(寝る), sentire(感じる)などireで終わる動詞

これらがイタリア語での主要な動詞となります。そしてこれらの語尾3文字をそれぞれ活用するわけです。活用はひとつの時制につき1人称単数(io),2人称単数(tu),3人称単数(lui/lei),1人称複数(noi), 2人称複数(voi),3人称複数(loro)の6種類ありますが(以降動詞の活用はこの順で書きます),大半は型通りですので実際に覚えなければならない数はかなり少なく済みます。それでは例を見ていきましょう。

  • cantare : canto canti canta cantiamo cantate cantano
  • vedere: vedo vedi vede vediamo vedete vedono
  • doemire: dormo dormi dorme dormiamo dormite dormono

お分かりでしょうか。つまりareのときは語尾の3文字がo,i,a,iamo,ate,anoに,ereのときはo,i,e,iamo,ete,onoに,ireのときはo,i,e,iamo,ite,onoに変わるわけです。覚えてしまえば簡単ですよね。実際は不規則動詞なんかが大量に紛れ込んできますが使いながら覚えればOKでしょう。まあ命令形あたりでは不規則動詞を型通り活用するので実際の会話で活用をトライ&エラーというのはあまりお勧めできませんが。(そういうときは原型でいえば大抵相手が勝手に直してくれるので問題無いと思います)

 

☆essereとavereについて

イタリア語で最も大事な動詞といっても過言ではありません。essereはbe動詞,avereはhaveにあたります。これらは不規則動詞です。ただし他の動詞と違ってこれらが使えない場合一切の表現が出来なくなるのでこれに関してはさっさと覚えてしまいましょう。

  • essere:sono sei è siamo siete sono
  • avere:ho hai ha abbiamo avete hanno

では基本的なところを理解したところで例文に行ってみましょう。

 

と思ったのですが不規則動詞に一切触れないというのはまずいのでいくつか取り上げます。

  • andare(行く): vado vai va andiamo andate vanno
  • venire(来る): vengo vieni viene veniamo venite vengono
  • stare(状態を示す動詞,essereに近い) : sto stai sta stiamo state stanno

☆丁寧な表現

基本的に店長は丁寧語で苺香に接しています。丁寧な表現,あるいは目上の人に話すとき,フォーマルなときは2人称の代わりに3人称の表現をよく使います。

 

それではこんどこそ例文に行ってみましょう

Q7-3

 Maika viene alle undici.

先ほどの不規則動詞venireです。vieneは3人称単数ですがここでは丁寧な表現というより単に誰かに説明しているだけのようです。alle undiciは時刻の表現で11時を示します。この辺はまた今度。よって訳は「苺香サンは11時に来ます」ということになります。

Q3-2

Maika ha una sorella e un fratello.

先ほど出てきたavereです。avereは今後近過去などで頻繁に目にすると思いますがここでは単に「持つ」というの意味になります。sorellaは姉妹,fratelloは兄弟,どちらも単数です。事実不定冠詞のunaとun(要は英語でいう“This is a pen”の"a")がついています。よって訳は「苺香サンには(一人の)お姉さんと(一人の)お兄さんがいます」となります。

Q5-2

Maika è la dea per me.

essereの文です。英語で言うとMaika is ~の文章なので非常に単純ですね。la deaは女神,per meは英語でfor meくらいの意味合いです。ということで訳は「苺香サンは(私にとっての)女神です」となります。

 

ということで現在形の解説は以上です。現在形にはもっと面倒なジェルンディオやpiaceなどもありますがそれはまた追々ということで。そろそろキノの旅が始まるので今回はこの辺で失礼します。次回をお楽しみに。

処女厨から見た“イカレた”世界

こんにちは。前回とは打って変わり,タイトルからしてキッツいテーマですがお付き合い願えれば幸いです。さて,今回取り上げる話はタイトルの通り“処女”です。何分筆者は手の施しようのない処女厨でありまして,その思想は小学6年生くらいに芽生えたという生粋のアレなやつなのでありますが,残念なことに世界はそうはなっていないのです。この部分だけ見るとただのエロゲに毒されたオタクのようですが(まあ毒されてはいるんですけど)それだけではないということをちょいと自分のこれまでの身の上とともに考察していきたいと思います。とはいっても概ね処女厨の自分語りになってしまうのでやはりキツイことに変わりはありませんが。

 

さて,自分がこんなことになった起源を遡るとどこに辿り着くのかと言いますと,まずはエロゲとの出会いを振り返らねばなりません。筆者が小学4年生くらいの頃,関西の土曜日深夜には「今夜もハッスル」というAV女優とレイザーラモンともう一人くらいでやっている番組がありました。当時すでに塾通いをしていた筆者にとっては深夜番組やゲームくらいしか娯楽が無かったので,毎週のように観ていました。その番組の1コーナーでエロゲを扱うコーナーも当然(?)あったわけです。当時は単なるエロガキであった筆者は履歴の消し方を覚えると,そのコーナーで出たゲームを検索する(主にゲッチュとかだったかと思います)ようになりました。その番組で紹介されていたゲームは大概「抜きゲー」でありまして,処女厨思想とは殆ど関係のないものでありました。なにぶん性行為と妊娠の関係さえも朧気だったものですから,まあそういう思想を獲得するまでは至らなかったわけであります。

月日は流れて小学6年の末,受験で見事に大失敗をした筆者はアニメと出会いました。この辺り順序がかなりあべこべですが仕方ありません。当然アニメの女性キャラに対して発情し,いろんなサイトを飛んでエロ絵を見るわけであります。そこで血が出ている絵を発見しました。そんなことがあり得るのかと半信半疑に思い検索をかけると,そこにあったのは処女の文字。これが決定的な出来事でした。そこから小学4年生のころに持っていた記憶を引っ張り出し,エロゲのサンプル画像を眺めるとやはり多くのゲームにそのシーンがあったわけです。そして自分の中には「それが当たり前」という刷り込みがなされました。そして同時にこうも思ったわけです。「まあエンディングを迎える=結婚相手じゃないと出来ないよな」と。

 

ここで少し話はズレますがこちらの記事をご参照願いたく思います。

地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき - 常夏島日記

筆者自身,公立が少々荒れた地区の生まれで,運よく滑り止めの中高一貫校に合格し,そこからはある程度環境の整った場所で生活を送ることとなったわけですが,高校入学前に小学校の同級生で集まる催しで聞き及んだ話とこの記事の事柄のとの間に概ね相違はありません。まぁ荒れているといっても本当にヤバいヤンキーは一握りしか居ないのでまだましな方ではありますが。多くの女子生徒がさっさと処女を捨てているという事実にまずここで衝撃を受けます。筆者がいた学校では部活が終わるとみなそれぞれ県単位で離れた自宅へと散って行くので,時間的にも金銭的にも余裕がない中学時代,女子はおろか男子同士でさえおいそれと会えるような環境にはありませんでした。相手に会いに行く交通費だってバカになりません。本質的に生きている時間距離と費用距離が異なるのです。尤も後から聞いた話では,一部のボンボンたちにとってそれは関係のないことだったらしく性経験を重ねていたらしいのですが,ほかの生徒にとっては縁もゆかりもないことだったのであります。では部活に入っていない人間はどうかというと,そういう人間は大抵オタクなのでやはり関係のない生活を送っていました。こういう比較的「綺麗」な環境にあったことも,筆者の処女厨的性質を加速させてしまったのであろうと思います。そのような経緯から,当時の筆者はその事実を「特異的なもの」「外れ値」として扱いました。

さて高校生になり,この辺りから周囲が色気づいてきます。高校生ということはアルバイトもできるようになりますし(尤も校則の上では原則禁止でしたが),時間の余裕もできます。とくに大学の付属校でもあったことから,内部進学組は受験勉強が必要ないということも手伝って,時間をだぶつかせていました。そこにこれまでは味わい得なかった恋愛という享楽を手にしてしまうわけです。それからのことは筆舌に尽くしがたいほどです。徐々にヤンキーのような生徒も出現し,校内の風紀は乱れないかわりに校外ではやりたい放題でした。

一方そんな中で筆者は何をしていたかというと,ひたすら勉強に打ち込んでいました。CLANNADをちらっと観て「やはり相手を幸せにするためにはちゃんとした大人にならねばならない」「そのためにはやはり勉強して仕事を得て稼がなければならない」という思想を得てみたり,生徒会の一存の杉崎鍵にすっかり心酔してみたりしていた自分は,単純に学力的側面から内部進学組を軽蔑し,さっさと学校を捨ててしまうことを選びました。当然そういう雰囲気は感じていたものの,やはり外れ値として対処する道を選んでしまったわけです。筆者の母校は中学から大学までストレートで行けてしまうため外部受験をするものは割と少数派で,同じ大学はおろか同じ県に通うであろうものさえ少ない有様であり,「付き合い続ける」ということを考えたとき,その集団の中で恋愛は成立し得ないレベルでありました。それゆえ筆者は高校時代もまた比較的「綺麗な環境」で生きていたわけです。尤も実際のところは外部受験組の中でもちょいちょいそういう話はあり,単純に筆者が鈍感な上,付き合いが少なかった故に話が回ってこなかっただけという要因もありますが。

そして勉強とオタク活動という二本柱の生活を続けていく間に,その清潔すぎる環境は自分の触れ得ない「恋愛」というものに対して独特な価値観を与えるに至りました。中学の頃に手を出しはじめたエロゲはどれもハッピーエンドのものばかりで,最後に主人公とヒロインはめでたく結ばれます。そして多くの場合は子供も生まれて幸せな生涯を送るわけです。以前ブログで筆者が述べた通り,オタクというのは無意識に「恋愛の空想化」をして生きている場合が往々にしてあり,実際自分もその一人でありました。それに加えて「清潔」すぎる環境(半分くらいは筆者の付き合いの希薄さに起因するものですが)がそこに拍車をかけました。現実に空想を混ぜるのはダメなことですが,空想に空想を混ぜるのは一種の創作行為めいたもので,それは責められるものではありません。市井からすると現実に空想を混ぜ込んでいる現象であっても,彼らからすると空想に空想を混ぜ込んでいるに過ぎないわけです。そうしてこれまでに筆者が抱いてきた思想が組み合わさり,どうしようもない処女厨が誕生したわけです。

記事を見返してみましょう。「まあエンディングを迎える=結婚相手じゃないと出来ないよな」「やはり相手を幸せにするためにはちゃんとした大人にならねばならない」「付き合い続ける」「それが当たり前」…これらの思想は大学入試の勉強で哲学をかじってから「理性」や「人間の本義」論と組み合わさりさらに強化されました。

結局勉強をして世間的には最難関とされる大学に受かった良いものの,そこに広がっていたのは自分が想像した世界とは正反対の“イカレた”世界でした。誰も彼もが我先にと純潔を投げ捨て,それぞれの快楽のためにはどんな手でも使う世界。恋愛は娯楽のひとつにすぎず,相手との将来など考えない群衆。受験が終わって束の間の自由を得,ようやく清潔な世界の外に降り立った筆者を待っていたのはまさに“この世の終わり”のようなものでした。ここにきてようやく自分が世間からとんでもなく乖離をしてしまっていることに気づいたわけです。しかしここまで来てしまった以上どうしようもありません。見た目に優れるわけでもなく,そして処女厨という大学や社会で恋愛をしていくにはあまりにも酷いハンディキャップを背負った筆者は,このままどこかで朽ち果てていくに違いありません。あるいは自分の信念を曲げてしまうのかもしれません。しかしどちらにしても耐え難い屈辱であることに違いはないわけです。

 

では結局今どう考えているのかというと

①性行為は相手と結婚する覚悟とそれを可能にする条件が揃っていなければあり得ない

②人間と動物とを分かつ理性とは快楽の制御にあり,それに負けたものは人間ではない

③お互いがそれ以外のものと関係を持っていたなど子供に対して失礼

④関係のために相手の将来の夢や自身のキャリアを歪めるわけにはいかない

⑤当然男も同様に童貞たるべき

⑥純潔のない「愛」「恋」は偽物

という6点に集約されます。限界にも程がありますね。しかしこれまでの記事を読んできた方ならこれが“必然”であったことがお分かりいただけるかと思います。たとえば中学くらいでこういう思想を持っていた人間でも,高校なんかで現実を知ってしまう(一番手っ取り早いのは近い女に食われてしまう)と快楽に飲まれておのずと修正されていくものですが,比較的小さく,清潔で,そして付き合いが希薄な状態で3年過ごしてしまうとそういう機会は失われます。人づきあいが苦手なオタクならなおさらです。

ここで聡明な読者各位は「ゲームだって結局は流されているのではないのか」という問いかけをされるのでしょう。それはもっともです。しかしゲームは現実とは違います。既定の物語に沿っている以上相手のキャリアのゆがむ可能性は0に等しく,そのすべてはエンディングへと収束します。現実にある不確実性はそこにはなく,最後には幸せな日々が待っています。これは私の6つの核心価値観に矛盾しません。

筆者はこれらの経緯をもって処女厨であることのエクスキューズにするわけではありません。キャリアを捨て,受験を捨て,現実を直視していればこういうことにはならなかったわけです。しかし自分はこういう道を選んだ。キャリアと受験を取り,現実から目を背け続けたツケが回ってきたにすぎないのです。こういう人間から見ると,現実世界とはまさに汚く,“イカレた”ものに見えてしまいます。世間が愛や恋と囁くそれは愛でも恋でもない。何も考えずにただ快楽に飲まれたくせに何を言っているのか。そう考えてしまうわけです。これは明らかに世間とは相容れません。そうして処女厨は世間に居場所をなくすのでしょう。

そうであれば私はおとなしくこの運命を受け入れます。世間の人々からすれば何を偉そうに言っているんだという感じでしょうが,残念ながら私は世間とは違いますし,当然前にも述べた通りその価値観とは本質的に異なるものを持った人間です。世間から見れば馬鹿げているでしょう。しかし私は世間の人々に対して「処女厨を馬鹿にしてほしくない」と切に願うのです。我々だってなりたくてそうなったわけではないのですから。

 

我々はただただ真面目に,愚直に,そして素直に「人間」であるだけなのです。

 

ブレンド・S まいかドリルを解説してみた 第1回

こんにちは。看板に偽りありどころじゃないこのブログですが,ついにイタリアかぶれをします。というのも,ブレンド・Sというアニメが原因なのであります。詳細についてはググってもらうとして,このアニメ,まだ2話放送時点なのに自分のフォロワー諸氏が様々な活動を開始しているのです。あるオタクはオタクタウンの聖地を特定し*1,あるオタクはOPテーマを譜面に起こしてみるなどどれも秀逸なものばかりで,そして少なくとも筆者には出来ないと思えるものばかりに思えるのであります。

さて,なんとかしてこのビッグウェーブに乗りたいが,はてさてどうすればよいのかと考えていたところ,公式が「まいかドリル」なるものをサイトに掲載していました。曰く銀のシールが抽選でもらえる懸賞問題のようで,その中身が簡単なイタリア語の和訳なのです。大学の二外でイタリア語を取っていてある程度わかる筆者にはそれが天恵のようでありました。カヴァレリア・ルスティカーナやダンテの詩を読まされるのに比べれば楽しくできそうです。ということで解説に手を出してみようと考えた次第であります。解説する問題は第1回から順次ということになりますがこれがいつまで続くのかは筆者自身にもわかりかねますのでそこはご容赦願いたく存じます。そして当該回の応募締め切りが終わっていない状態での解説はやめておきます。それからここまで言っといてなんですが筆者はそれほどイタリア語が得意というわけではないのでそこは了承願います。解説の正確性も保証しかねます。では1問目を見てみましょう

 

第1回

Q1 Quando ho visto Maika, ho sentito come se fossimo legati dal destino.

苺香さんを見た瞬間、(    )を感じまシタ。

 

概ね近過去の文章です。答え自体は(運命)ですが,解説がめんどくさい問題ですね。問題を解くだけならdestinoが分かればいいので別に難しくはないんですがここでは構造に主眼を置いて説明しましょう(死)

まず,イタリア語の構造ですが,基本的には英語と同じです。但しよく主語が飛びます。あとたまに語順もめちゃくちゃになります。それから動詞が人称ごとに変わります。

今回の文章もQuando ho visto Maikaとなっており,どこにも主語のio(私)がありません。ではこれが読めないかというとそんなことはありません。

イタリア語の過去形の文章は英語のhaveにあたるavereの活用(状態や移動の場合はbeにあたるessere)+過去分詞という現在完了のようなかたちで表されますが,このavereの活用形を見てやることで人称を確認できるのです。avereの活用はho(1人称単数),hai(2単),ha(3単),abbiamo(1複),avete(2複),hanno(3複)であり,今回はhoなのでこの文章の主語がioであることが分かります。

Quandoは典型的な疑問詞で,英語で言うとWhenです。Quando sei nato?(いつ生まれたの?)のように使うことができます。

VistoはVedereの過去分詞です。過去分詞はareならato,ereならuto,ireならitoとそれぞれ語尾を変えてやればいいんですがこいつは不規則動詞なのでその法則から外れています。不規則動詞も死ぬほど多いです。Vedereは「見る」という意味の動詞ですので,これでこの節の意味が分かりますね。

Quando ho visto Maika→(私が)苺香さんを見たとき(瞬間) となります。

 

さて後半です。

ho sentito come se fossimo legati dal destinoとあります。大半がイタリア語初心者のオタクに接続法半過去の文章読ますなや。

ho sentito(sentire=感じる)は先ほどの解説の通り近過去です。但しこの文章がちょっと酷いのはcome se から接続法を使わせる文章になっているところ。接続法ですが「主観」「希望」を表すのに使います。「○○だったらいいのに」とか「○○だと感じたんだ!!!!」みたいな感じですね。この接続法,英語ならそのまま通せるところをイタリア語ではそれ専用の活用を用意してやらねばなりません。接続法に限らず専用の活用を用意してやらねばならない場面は多く,少なくとも10種類以上あります。それに人称ごとの活用を引っ付けないといけないので1つの動詞につき活用が最低でも60個あります。つらい。

さて本題に戻ります。come seは英語で言うとas if のような意味です。seという単語はifの意味でよく使われます。筆者の好きなプリモ・レーヴィの詩にも"Se questo è un uomo"などのかたちでよく出現します。どうやら店長はあたかも何かのように感じたみたいです。 

次が山場です。fossimo legati dal destinoとあります。このfossimo,何の動詞の活用かと言いますとessereなのであります。ふざけんな。想像つかんわ。

大半の動詞は原型くらい留めてるんですが,essereの場合はsono,sarò,ero,fuiと4系統の活用があります。一番基本の動詞のくせになんて傲慢なことでしょう。ということでfossimoですがessereの接続法半過去1人称複数となります。まあ,つまり店長は自分と苺香があたかも何かの状態であることを主観的に感じ取ったようですね。

そしてlegatiですがこれは過去分詞です。但し注意が必要なのはlegatoではなくlegatiとなっている点。分詞は基本的に性数を一致させねばなりません。今回の場合,noi=1人称複数(私たち)が店長と苺香なので男性混合の集団となります。この場合は男性形で活用を行います。こういう時の複数形は基本的に男性形と考えた方がいい説まであります。女性形で複数にするのは百合かハーレムの時くらいです。音楽の記号にlegatoというのがあるように,繋がっているという意味です。ということでfossimo legatiはbe connectedくらいの意味になります。さらっと流してますが受動態です。つまり「繋がれた,繋がれている」ということですね。

dal destinoですが,da+il+destinoという構造です。daは前置詞でbyやfromのような意味です。この辺り一つに定められないのが辛いところ。ilは男性名詞の定冠詞です。-oで終わる男性名詞のうち,母音,z,又はs+子音で始まるものではないものにつきます。それがdaと繋がって活用された形がdalです。そしてdestinoは運命という意味の男性名詞です。つまりこの部分の訳は「運命によって」ということになります。

ということで後半もわかりそうですね。

ho sentito come se fossimo legati dal destino→(私は)私たちが運命によって繋がれていると感じた となります。

よってまとめると

Quando ho visto Maika, ho sentito come se fossimo legati dal destino.→(私は)苺香サンを見た瞬間,(私たちは)運命によって繋がれていると感じた→苺香サンを見た瞬間,運命を感じまシタ。という訳になるわけです。

いかがだったでしょうか。イタリア語,なんともめんどくさい言語ですよね。でも読めるとちょっと優越感を得られます。イタリアくらいでしか通用しない,いわば「マイナー言語」*2ですが,ブレンド・Sをきっかけに多くの人がイタリア語に触れる機会が生まれればいいなぁと思います。

 

つかれた。二度とやりたくない(テノヒラクルー

*1:

【暫定版】ブレンド・S聖地巡礼 - 旭駅本屋

*2:ここでのマイナーは他の二外に比べて位の意味でしかない