ぽしゃけなおはなし

二十歳になったので酒を飲むことにした。

友人に飯をおごってもらい,その後彼の家でずっとドラクエⅪを横から眺め,そして2時半になってようやく帰るとなった時にコンビニ*1を見つけた。

さて,店内に入り酒類のコーナーへ向かうと,所狭しというほどではないにしろそれなりの数の酒が並んでいた。ニッカウイスキーや日本酒,反対側の冷蔵棚にはビールや酎ハイ。律儀に法規を守っていたので何もかもが目新しい。そしてどれもこれもおいしくなさそうに見える*2。ではこの集団からなるべくダメージを抑えてアルコール摂取をするにあたって何を飲んでやろうかと考えているとき,ふとアルコール消毒液というワードが脳裏をよぎった。その彗星のように現れた中性子的ななにかは次々と脳内で語群に激突を繰り返し,やがてトップバリュウイスキーという言葉を想起するに至った。

いやいやいやローソンでトップバリュて。と思ったのも束の間,今度はトップバリュという文字がまた別なとこから放出された中性子の衝突によってちぎれ飛び,どっかにいってしまった。かくして自分は知多180ml*3を片手に意気揚々と帰路についたわけである。

 

家に着く。当然誰も起きていない。いや犬は起きていた。というかドアの音で起きた。シャワーを済ませ,瓶を片手に台所へと向かう主人*4をチョロチョロと追いかけてくる。ここで吠えられると面倒なので彼の好物のチーズを与え,黙っておいてもらうことにした。それでも何か期待するようにこちらを見つめてくるので彼の大嫌いな霧吹きをちらつけせてやるとすんなり引き下がって寝床へ帰っていった。何もやらなければ霧吹きでは引き下がってくれない面倒な犬である。実質これが最適解だろう。この時点で3時前である。

さて酒だ。ロックだのハーフロックだのハイボールだのよくわからないがとりあえずウイスキーと炭酸水を混ぜれば飲めるんだろう,と冷蔵庫を覗いたが,肝心の炭酸水が見つからない。シュワチンしたときの残りがあったはずなのにどうしたものか*5しかしないものはないので仕方ない。しぶしぶ近所の自販機まで出向いてサイダーを買ってきた。以前伊達や芋焼酎をこれで割っていたのでまあ大丈夫だろうと考えての行動である。

そしてグラスを3つ出した。ひとつはハーフロック,ひとつはサイダー割り,ひとつはお湯割り用だ。せっかくのウイスキーなのだからたくさん楽しみ方を用意せねば損だろうという貧乏性がはたらいた結果である。

ウイスキーを開封してグラスに注いでいく。薄い琥珀色をした雫が次々と滴り落ち,氷を打つ音が響く。そして最後にはグラスの底へと辿り着き,そこからは水音しか聞こえなくなった。この時点で自分には官能小説の才能が無いことが分かった。ともかくここに適切なものを流し込めば完成なので後は楽なものである。すべて1:1の割合で注いだ。

もうお分かりいただけるとは思うが,ハーフロック以外はそんな飲み方をするようなものではない。サントリーによれば知多の最適な飲み方は1:3.5のハイボールである。明らかにしくじっているが,なにせ酒の知識など殆ど無いのでそれに気づいていない。そしてお湯割りを一口飲んでむせた。当然の帰結である。そしてようやく間違いに気づいたのか多量のサイダーをお湯割りに流し込んだ。何をしているのかさっぱりわからない。絶妙にぬるく,中途半端に甘いその液体を口に入れたとき,果たして自分がなにをしでかしたのかということに思い至った。しかし飲みにくさは一気に解消されていたので流し込んだ。微妙なものを体に入れるならこうするに限る。そして今度はハーフロックに手を付けた。ウイスキーの味なんてわからないがなんかカッコつけられる気はした。そしてこれもすぐ胃に流し込まれたウイスキーの味とはこんなものかということが分かったところでサイダー割りである。先の二つの失敗を鑑み,より多くのサイダーで希釈する手に出た。大体1:3くらいになったところで飲んでみるとこれが飲みやすい。というかほぼジュースのように感じた。*6そして気づくと知多の瓶が空になっていた。そのあと調子に乗って冷蔵庫に入っていた酎ハイも飲んだ。サイダー割り以上にジュースだった。時計を見ると3時20分を指していた。

…あれ?

これやってること一気飲みと変わらなくね?

そう思い至るとまた別なジョッキに水を注ぎこみ,一気に飲み干した。

しばらくして酔い(?)が回ってきた。現実感が無くなり,体が軽くなる。論理的思考力が極端に落ちる。なぜか画面に対する反応は早いままである。こんな状態で運転なんてする気になるやつの神経が分からないと思いつつ,これ以上の波が来るとどうなるのかと怖くも感じた。幸いなことにそれ以上が来ることはなく眠りについたが,翌日地獄を味わうこととなった。体がだるく,吐き気だか吐き気じゃないんだかよくわからない感覚に延々と襲われ続ける。結局回復したのは14時を過ぎてからで,一日の半分を無駄にしてしまった。酔うのはやってみたいと思っていたがこんな症状まで頼んだ覚えはない。結局のところもう少しゆっくり飲むことを覚えなければならないという至極当たり前の教訓を得た。飲みやすい酒も考え物である。

かくして人生初の飲酒というイベントは,失策によるオーバードーズと二日酔いという形で幕を閉じたのであった。そして記憶が飛んでいないあたり少なくとも自分は酒に弱くないということが分かった。けれども他の酒の具合がよくわからない以上,日常的に酒を飲むようなのはまだ先のことになるだろう。ひとまずウイスキーは飲めるらしいので次は日本酒かウオッカにでも手を出してみようとは思う。ということで酒好き各位は情報ください。

 

―おしまい―

*1:秋月律子,またの名を労損

*2:多分周囲の未成年飲酒に嫌気がさしていたから。多少なりとも酒に対する敬遠があったとは思う。

*3:なぜこれを選んだかはあまりよくわかっていない

*4:尤も当人からそう見えているかは不明。普段もめちゃくちゃな要求をされるので下に見られているかもしれない。

*5:後になって発覚したことだが,いつの間にか親父が消費していたらしい。

*6:先の二つがおかしな味をしていたり濃かったりしただけ

バカと旅行と大失策なおはなし

198日とは1年の365分の198にあたる期間で月に直すと約6か月半である。

大体月が7回公転するくらいの期間でもある。

僕がこのブログの更新をこれだけほったらかしにしていた理由はひとえにこの存在を意図的に忘れていたという一言に尽きる。大学でGPAと殴り合いをしたりサークルを作ってみたり中核派と仲良くなtt…というのは冗談だが,ともかくこれに掛ける時間が無かったのである。

しかし昨今の無言キャス*1やシュワチンブロガー*2の動向を見るにつけて,いやがおうにもこのブログの存在を想起せざるを得なくなった。ということで適当にネタらしくもなく面白くもなんともない「これまでの旅行で犯した自分の失策」を時系列順に並べていこうと思う。

 

1.2011年12月 北海道・豪雪と寝坊と判断ミス

概要:12月26日,急行はまなす青森駅でのポイント凍結,連絡列車遅れおよび信号機トラブルにより50分遅れで青森駅を発車した。途中函館駅での停車時間を削ることでなんとか30分遅れで札幌駅に到着。すぐに折り返してエアポートで南千歳へ,そして乗り継ぎ苫小牧へ向かったものの,時刻表の確認を怠った結果8分差で日高本線に逃げられる。失意のまま札幌へ戻るも今度は札幌圏が豪雪でダウン。当日の宿の取ってある滝川へ向かうため石勝線経由で新得へ向かったが新得到着時に函館本線が復旧し無事憤死。結果クッソ非効率的なルートで滝川へ向かうこととなった。

原因:列車遅延,寝坊(新札幌発車直後に起床),時刻表の確認ミス,自爆

 

2.2012年8月 島根・運休区間への突進

概要:山陰本線は路盤流出により奈古~須佐間で不通となっていた。同じころ,山口線でも地福駅周辺での土砂流入により運休が発生していた。そこにサンライズからスーパーおきの乗り継ぎをキメて意気揚々と乗り込んできた馬鹿がひとり。駅で調整中の文字を見て絶句。てっきり長門市から先の区間が運休していると思い込んでいたため益田駅で息を引き取る。蘇生後なんとかバスを確保し広島駅へ脱出するも今度はバスが30分遅れ,席を確保していたさくらに逃げられ再び死亡。人権のない自由席で小倉へと向かう羽目になった。これだから島根は

原因:自爆

 

3.2012年8月 福岡・奇跡的な連鎖

概要:田川後藤寺駅は難儀な駅で,後藤寺線日田彦山線とが接続しているもののホームが死ぬほどわかりづらく離れている上,田舎のくせに絶妙な接続で列車が発車する。そして後藤寺線の列車は到着時に必ず2列車がホームを挟んで対面している。さてやってきたのは,つい1日前に運休区間に突撃し見事爆死を決めたETR終身名誉死刑囚(15)。田川後藤寺駅で下車し反対側の列車に乗り換えたものの放送で原田行きであることに気づいた。『この列車は原田行き』のアナウンスを聞いた馬鹿の貌はみるみる青ざめ,その瞳は自動織機よりも速く左右へ動いていた。早速成層圏まで飛び上がり,『なんでホームが遠いんだ』『案内にも問題がある』と駅前の犬に説くも『分かりづらいのは分かり切っていたこと』『調べなかったそちらさんサイドにも問題がある』と反論、その反省が見られない態度に黒田は激怒,手始めに後藤寺線の車両に男気ツーシームを命中させて黙らせると,駅の手本を見せるべく強引に新宿駅と駅対決を開始。黒田の渾身の変化球はベンチで見ていた田川後藤寺駅まで曲がっていきポイントを粉砕,無事男気を注入した。満足げな表情で成層圏から地表に降下するも離陸時にパネルが崩落し穴が開いていたため空中分解し夏空に揺れる真昼の流星となった。これについて緒方広島カープ監督は『(文句をつけるのは)結果論』とコメント。なお石原町での乗り換えは間に合う模様。

原因:田川後藤寺駅の構造,自爆

 

4.2016年9月 広島・『アッ、ホテルがない!』*3

概要:九州での日程を終えて広島へ向かう限界オタク。疲れからか、不幸にも黒塗りの広島に到着してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは…。後輩の目前に晒されるあまりに屈辱的なJTBの痴態、渦巻く憎悪と疲労に翻弄されて…。一瞬のスキをついて形勢を逆転した限界オタク。噴出した怒りはやがて灼熱の西条を点火する。

原因:代理店の都市名(広島県西条→愛媛県西条)取り違え

 

―おしまい―

 

 

 

 

 

 

*1:旭駅本屋 ←ここのひと

*2:オルソンブログ ←ここのひと

*3:元ネタは『アッ、滑走路がない!』,航空事故関連の週刊誌記事。

オタクとドラマなおはなし

Twitterのプロモを見てふと思った。

「そういえば何故我々オタクは実写の恋愛ドラマを嫌うのだろうか」と。

僕自身オタクという種族であることに間違いはないし,そのプロモを見て吐き気がした。だが「なぜ」ということについては考えもしなかった。

これについて,以前から持っていた概念とこの前見かけた説とを組み合わせると割と容易に説明できてしまう気がしたのでなんとなく考えてみることにしよう。

 

オタクという種族の大きな特徴は「空想と現実の区別に秀でていること」であるとされる。これはそういえば昔からよく言われていたことであるが,このまえ改めてTwitterでそういう話が回っているのを目にするにあたって,確かにそうだと考えた。現実世界で手に入らないものを,あるいはあり得ないものを二次元な世界で得ようとする。これが所謂大半の「アニメオタク」の本質である。

さて,この手に入らないものとは具体的に一体何なのだろうか。多くの場合真っ先に「恋愛」があがるだろう。多くの場合,可愛いヒロインへの欲求は,現実で愛を手に入れることの容易ならざることに起因している。あるいは女の子がキャッキャしている日常系に関しても,「男の介在しない空間」の存在不可能性,言い換えれば「自分以外の異性の観測者の不存在」をその視聴の原動力とする場合が多々見受けられる。その他にも「俺TUEEEE」な物語,異世界転生,「未来」の物語などなど,現実での存在が殆どあり得ないであろうもの,あるいは存在の証明が不可能なものを得るということが,我々「オタク」という種族の基本的な行動である。

 

さて本題である。何故「オタクは実写の恋愛を毛嫌いする」のだろうか。答えはすでに上記のことに示されている。簡単に言うならば『「恋愛」という空想を「実写」という現実性を持った媒体によって描かれることへの違和感を堪え得ざるから』であろう。

 先に述べた通り,オタクというのは現実と空想とを区別する能力に秀でた存在である。そして多くのアニメオタクがアニメオタクたるゆえんは「恋愛」の獲得不可能性による。それゆえ多くのオタクにとって恋愛とは「空想」と似たような存在である。

 

しかしながら世の中の恋愛を描く手段の多勢は「実写」である。そしてそれは紛れもなく「現実」による描写である。現実に存在する場所で,現実に存在する人物が,恋愛という多くの人々にとっては「現実」である出来事を演じる。

 

これがオタクにとっては何を意味するのかというと,恋愛という「空想」が強烈な現実性の下に描かれるのである。そこには大きな違和感が現れる。

例えばアニメという手段での表現を考えてみると,絵という「空想」の下で,現実の場所をモデルにしていることもあるが,あくまでも「空想上」の場所で,実在する「声優」が「空想」の物語を演じる。これはどちらかと言えば『「現実」が「空想」によって希釈されている』表現方法であると云えよう。

しかし実写の場合,「空想」の脚本が現実に引っ張られる,即ち『「空想」が「現実」によって希釈されている』のである。まずここで違和感を覚えざるを得ない。そしてその違和感に対しては多くの場合「拒絶」を以って対応する。

さらには恋愛を「空想」と捉えざるを得ない自らのマイノリティ性をも見る。一種のマジョリティによる暴力のようなものが自らの前に流れ込んでくる。それゆえ防御のための機制としてもそれらを拒絶するのである。

 

 もう少し議論を拡張してみることにしよう。

この空想と現実の話について,僕は昔から「認識的三次元」と「実存的三次元」という概念を用いて説明する。「実存」のほうは文字通りであるが,「認識的三次元」とは,「実際は三次元ではないが頭の中では三次元として処理する事象」のことである。たとえばマンガやアニメは実際には二次元平面であるにも関わらず,我々はその中に奥行きを見出す。ここに「認識」を以って二次元を三次元と擬制する。

一方で小説については「認識的三次元への擬制」と「実存的三次元への擬制」との両方があり得る。つまり小説を読んで「二次元の美少女」がイメージされるか「現実の人物」がイメージされるかの違いである。これは挿絵,或いは個々人の経験により左右されるため深くは追及しない。

さて,この二つの概念を持ち出す格好の材料が「マンガ/アニメの実写化はなぜ成功しないのか,なぜ叩かれるのか」という問題である。聡明な諸君であればお分かりであろう。これらが叩かれる原因は脚本のほかに,「認識」と「実存」の,「実存側の人間による」混同が行われているからである。

「実存」側の人間はたとえ空想的であろうとも「現実」を以ってものを描く。一方でオタクというものは「現実」と「空想」とを区別する能力に秀でている。もっと言えば,「認識的三次元」と「実存的三次元」とを完全に分離している存在である。それゆえ認識世界への実存の流入を良しとしない。そのうえ,「認識的三次元」の世界は多くの場合「実存的三次元」へのコンバートが(少なくともオタクの中では)不可能なものである。混ぜようとすると大きな違和感を産む。そもそも「認識」として生まれたものはそれ自身が「認識」世界の存在であるという強いミームの機能を持つのである。

そしてオタク以外にとっては「実存的三次元」へのコンバートが不可能な作品は「そもそも存在しない」。また,「実存」側の人々はオタクのテリトリーを土足で荒らしていく。さてどこに成功する要素があろうか。どこに叩かれない要素があろうか。

 

まとめよう。

結局のところ,オタクが実写を嫌う理由はひとえに「空想・認識」の世界への「現実・実存」の流入を嫌うからである。これはオタクは現実と空想の区別に優れているうえ,多くの創作的事象についてそれを「認識」の世界で処理するようになっているということに由来している。

 

 

 

軽く書くつもりのブログに重たい話題が並んでいく気分はあまり良いものではないけれど,僕自身が短文でセンスのあることを書けないのだから長くて重たいものになるのも仕方ないのかなともおもいつつ,早春の夜が更けていくのである。

 

 

 

 

春休みなおはなし

12泊15日春季北海道遠征旅程確定!!!!1!!!

 

それはそうと尻の上が痛い。

受験直前の2015年の12月に尻の割れ目の起点の皮下に大量の血膿が溜まっていた事案に対して,そのときは切開で対応したのだけれども,傷がふさがってからこれで2回目のぶり返しである。何がつらいって背もたれにもたれて座ることができないのだ。また切開かとも思ったのだけれども切ってしまうと2週間はかかるので出発に間に合わない可能性も出てくる。しかしこいつを何とかしなければ痛みで旅が台無しになりかねない。ということでこれでもかというくらい清潔に保つ方向で考えているのだけど,そうすると汗をかく運動なんてものはできないので体を絞るのにも支障が出てしまう。

Perche sono questo malato.(どうしてこうなった)

つべこべ言ってないで病院で相談すべきか。

競馬と受験なおはなし

 まああれだけじゃ寂しいので適当に切り売りしてみることにしよう。世間ではそろそろ大学受験本番の時期だ。受験生は皆一様に最後の追い込みをしていることだろう。現役はこの時期にすさまじい伸び方をするらしい。最後の最後に伸びて勝つ。例えばディープインパクトなんかはこういう勝ち方をする馬だった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7209650

 さて,僕はこういうタイプの馬は凄いとは思うけれどあまり好きではない。見ていて楽しいし「速い」とは思うが,なんとなく「強さ」を感じづらい。いやディープやらヒシアマゾン*1やらは確かに強いのだけれど,僕が一番好きなのはどちらかといえば「大逃げ」を打つ馬やそこまではいかなくとも「逃げ」*2る馬である。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5023300メジロパーマー*3

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2751461サニーブライアン

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14883674スマートファルコン

 スタートと同時に先頭に立ち,最後まで先頭を譲ることなく押し切る。こういう「強さ」が僕は大好きだ。最近だとキタサンブラックがそういう勝ち方をする。

 

 月並みな言い方になるが,逃げ馬や先行馬はペースによっては潰れるものの,溜め殺しで終わることは殆どない。一方で追い込み馬は不発のリスクが大きい。同じ理由で僕は最後に追い込むタイプの受験生というのはあまりいいものではないと思っている。力を出し切りたいなら先行するのが一番いいのではないのかとも思う。

 そういうわけで僕は大学受験を「大きなアドバンテージをさっさと確保してそのリードを利用して押し切る」やり方で逃げ切った。

 普通の受験生は高校3年の夏くらいから一気に勉強を始めるという。そして秋,冬になるにつれて段々勉強量が増える。言うなればレース半ばを過ぎてペースを上げ,第4コーナーを回ったところで一気に加速し差し切る追い込み馬だ。ここで上がり3F32秒台*4なんかを出せればよっぽどのことがない限り悪い結果にはならない。他馬のスタミナが切れていれば一気に追い抜ける。

 しかし果たして受験にスタミナという概念があろうか。いや、無いことはない。が,追い込みが一気に決まってそのまま圧勝できるような切れ方はしない。そして勉強と競馬との大きな違いとして勉強は「加速」を始めたタイミングで結果がすぐには見えないというところがある。第3コーナーで加速を始めたものの他馬との差がどれだけ詰まったかは遅れて表示されるようなものだ。これではあまりにも不安定すぎる。加速しているつもりが全然差が詰まってなかったなんてこともよくある。

 だからこそ僕は受験は「逃げ」を打つべきだと考えている。安定ということもあるし,それから基礎をさっさと身に着けてしまったほうが同じ時間の勉強でも効率が違う。勉強のブーストは

B=f(積み上げ,時間,スタミナ値)

で定義できると僕は個人的に考えているが,要はスタミナ値の減少を積み上げでカバーしてしまえば問題ない。そしてスタミナ値の回復を待って,二の脚を繰り出す。追い込みの場合は積み上げ値によって大きく左右されてしまうためブーストのかかり方が不安定になってしまうのだ。

 

一つのケースとして僕自身がどうしたかということを以下に示す

 

高2 12月~高3 5月 

本気でやる。とにかく基礎を詰めて発展に手を出せるようにする。教科書の問題とか基礎の問題集とか一杯やる。英単語も。

高3  6月~7月   

割とサボる。学校の授業だけとかでも多分何とかなる。ちょっとだけ過去問もやる。

高3  8月       

もう一回本気を出す.。発展を詰める。過去問とかプラチカとか。

高3  9月~11月          

割とサボる。気が向いた時だけ過去問をやる。

高3 12月~      

二の脚でがんばる。他の追い込み馬のペースにある程度合わせられればOK。

 

 要は日本ダービー*5サニーブライアンやJC*6キタサンブラック毎日王冠*7サイレンススズカみたいにやればいい。あとは目標通過タイムを設定すれば計画は大体完成する。一番やりやすい指標としてはセンター模試得点率とかだろうか。高3の6月で85%とか,あるいは切れ味に多少自信のある場合はもう少し遅めの通過タイムを設定するとかすればいい。そうでないと暴走してブルーイレヴンみたいになってしまう。まあできるやつには関係ないんだけどさ。金鯱賞のススズとかその極致だし。

 このやり方のメリットは割と心の平静を保てる点にある。他が焦る中でさっさと完成させていればある程度は別に遊んでいたって構わない。やることやってりゃ心配事は運だけだ。受験で精神を病むこともないだろう。少なくとも僕自身は合理的だと考える。その上すぐ伸びなくても「まだ時間はある」という心理的余裕も生まれる。

 デメリットは出遅れたらアウトなこと。それこそドバイスマートファルコントウケイヘイロー*8みたいになる。そのときは頑張って先行馬の流れに付いていくしかない。そうなると多少切れ味が必要になるので運がより大きく絡む。biim兄貴((のような安定主義者であれば出遅れだけは避けるべきだ。安定が取れれば多少ガバっても問題はない。

 

まあ何が言いたいかというと,「計画って大事だね」ということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。「計画は大事」

 

 

僕は今そのことを心の底から噛みしめている。

 

 

 

 

 

 

 

線形代数の試験が近いのに進捗がない。

 

このころの意識の高さはどこへ行ってしまったのだろう。

 

Hesse行列って何だよ

対角化って何だよ

転置行列って何だよ

やべえよ…やべえよ…(焦り)

 

 

 

 

 

まあワンチャンあるやろ(震え声)

 

*1:女傑と呼ばれた牝馬(メスの馬)。牡馬勝りのムキムキな体躯と切れ味で多くのレースを勝った。

*2:レース中の並び順/仕掛けるタイミングの順に大逃げ→→→逃げ→先行→差し→追い込みで馬が並んでいる。

*3:通称「逃げる馬鹿」。同年に宝塚記念有馬記念を勝つ「春秋グランプリ連覇」を成し遂げた名馬だが,負けるときは馬鹿みたいに暴走してボロボロに負けた。

*4:レース最後の600mの走破タイムのことを「上がり3F(ハロン)n秒」と言ったりする。実は32秒台は化け物の域。

*5:3歳の馬しか出られないGⅠレース(通称牡馬クラシック三冠)のひとつ。東京競馬場の芝2400mで行われる。牡馬クラシックだけど牝馬も出られる。すべてのホースマンの夢ともいわれる。

*6:ジャパンカップ(GⅠ)のこと。東京競馬場の芝2400mで行われる。女子中学生ではない。日本で一番賞金の高いレース。一時期は世界のトップホースが一堂に会する最高峰決定戦だった。今はそうでもない。

*7:天皇賞(秋)(GⅠ)の前哨戦のGⅡ。東京競馬場の芝1800m。

*8:どちらも逃げ馬のくせに出遅れてぼろ負けした。

旅に出たい

というか出る。これは確定事項。

北へ行く。北海道を回るか東北を回るかはまだ決まっていない。

その前の大きな課題は試験。

じゃあ試験勉強しろって?

専門科目の試験終わったし割とどうでもいい。

ただ単位を落とすことはプライドが許さないから多分やる。

 

※三日坊主回避のために書いただけなので深い意味はないよ。

テスト勉強をさぼりながら綴る雑感

 ちょっとした怒りを綴りたい。

いわずと知れた絵本の無料配信の件である。

上から目線のマウンティングはさることながら,彼はいくつもの罪を重ねている。

 

 「お金を払って読みたい人は有料の本を買って、無料で読みたい人は無料のインターネットで読めるものとする。」

これがその言い分である。

それに対して,僕は「情報の価値をあまりにも軽視しているのではないのか」という印象を受けるとともに,「社会的強者」の驕りを感じた。

 

 

 さて,ものの価値というものは人によって異なる。経営学の教科書によく書かれていることだが, 人々が財やサービスを求めるとき,彼らはいくつもの欲求を参照し,それに最も合うものを探す。例えば車を買う時だって,「サービス」や「コスパ」を重視する人はおそらくトヨタを選ぶ。「ロマン」が欲しければスバルを,「見栄を張りたい」のなら外車へ向かうかもしれない。しかし,本質的にはみな「車という移動手段」を欲しているに過ぎない。よっぽどの物好きでもない限り,車を使って移動すること抜きには車を買うインセンティブはない。

 

 同じことが情報にも言える。本を読むことだってそうだ。同じ本一つとっても,ハードカバーが好きな人もいれば,文庫本が好きな人もいる。本を持ち歩くのが面倒だからと電子書籍を選ぶ人もいるだろう。しかし彼らが求めているのは結局のところ「その本に内包されている情報」であることには変わりない。確かに,ハードカバーや文庫本より電子書籍のほうが安くなる傾向はある。しかし内容の分の金はきちんと取られている。

 

 こう書くと僕が無料で公開しているものの価値を否定していると思われるのかもしれないがそうではない。例えば,絶版マンガ図書館(旧Jコミ)は出版社の都合で書籍化のできないマンガを無料で公開する代わりに広告収入を分配するという方法をとっている。『ブラックジャックによろしく』だって,結局のところ後続の作品のためのマーケティングという面もある。マンガ雑誌のサイトだって,重要な部分は「続きはコミックで」となっている。音楽のPVだって,一部の公開で残りを買わせるというビジネスモデルに過ぎない。無料で公開しているもののすべてが悪というわけではない。

 

 これら無料公開の共通点は,「何らかの形でクリエイターに還元される」というところにある。もっと言えば,「続きを気にさせ,購入するインセンティブを掻き立てる」というものが多数である。ついでに多くの面においてクリエイターは弱者であることをここで先に述べておく。

 

 さて件のクズである。

曰く,「無料化の否定とPV公開は相反する」とのことである。

前段の主張を読んでいただいた賢明なる諸兄なら,これが共存しうることがお分かりいただけよう。そして如何にあの言い分がおかしいかにも気づいていただけると思う。

あの言い方を言い換えるとこうなる。

「無料化の肯定がPV公開である」

あろうことにCDの2曲目,3曲目の価値を否定している。

先にも述べたように,PV公開というのは一種のインセンティブ喚起のための手法でしかない。あるいは広告収入でクリエイターを支えるモデルにもなりえる。

しかし,それは情報が無料である根拠となりえない。必ずどこかしらで情報の対価は動いている。当たり前の話だろう。

 

 そして明坂さんを誹って曰く「無料で見せてグッズで稼ぐアニメ産業」である。

確かにアニメは放送時点では無料である。しかしアニメには放送時間内でないと無料になりえないという「期限」がある。(少なくともその期限性については僕は否定的であるが。あと録画については長くなるのでここでは触れない。)

そしてその情報の構成は書籍以上に複雑怪奇である。構成,作画,動画,原画,声優,音響…ひとつの情報を作り上げるだけでも非常に多数の利害関係者が生じる。

それを書籍の無料公開と同列に語ることは無理がある。

 

 ともかく,情報というものが決して無料ではないという根拠とクズの誹りに対する反論はざっとこのとおりである。

 

 

 さて,ここからが問題の核心である。

とはいったものの何からぶちまけていいかよくわからないので思いついた順に書く。ここから凄く口調汚くなるよ。

 

 

 

 

 

 

子供の教育のため?

情報としての金は要らない?

子供にそんなたいそうな倫理観があると思っているならとんだおめでたい頭だ。

タダで手に入ったら他もタダで手に入ると感じるに決まっているだろう。

高校生でさえ,大人でさえもそう感じて,そして違法ダウンロードやらアップロードに手を染めているのに子供に何を期待しているんだ。

 

恩送りのため?

お前それ本気で言ってんの?

クリエイターと消費者は本来対等な立場のはずだ。

基本的には消費者から金が払われ,クリエイターから作品が供給される。

ただの取引関係に過ぎない。

それがなんだよその上から目線。

お前のほうが偉いのか?

金銭によって清算されるべき関係を勝手に破棄しといて何言ってんだ。

法哲学の公正についての部分をよく読み直せ。あ,そもそも読んでないか。

その上から目線の正当な根拠があるなら言ってみろ。

 

知られないと買われない?売り上げがすべて?

今回の事象はお前が社会的なセレブリティであることと可分なのか?

これが何もないところから始めてマーケティングとして無料公開して周知されたなら話は別だ。だがそうではない。その名の下に金を集め,重版をかけ,そして燃やす。アドバンテージがありすぎる。

河上肇の貧乏物語でも言及されているように,富者の貧乏体験は貧乏ごっこに過ぎない。ああいう物言いをするなら名前を一切明かさずに,その権威を使わずに,自分でゼロから始めてみろよ。それでのし上がれたら認めてやるよ。

今の時点では少なくともその物言いに正統性はないだろう。

言ってることは上西小百合と変わらない。

 

ごちゃ混ぜにしている人が多すぎる?

その言葉そっくりそのまま返してやるよ。

情報の無料配信という戦略と情報が無料であることは違う。

だから叩かれてるのが分からないのか。

絵を描くにはちゃんとした技術が要る。

話を組み立てるにはちゃんとした教養が要る。

そしてそれを作り上げること自体にも時間がかかる。

何なら金もかかる。

それをお前は無に帰すつもりか?

辞書の知的財産のページを読め。

 

自分の作品作りに時間を使う?

お前その本全部ひとりで書いたんか?

誰かに書かせたんやろ?

そんなたいそうなこと言えるんけ?

 

お金の奴隷解放宣言?

金を使うかどうかは消費者が決める?

お前経済をなんだと思ってんの。

窃盗の幇助か何かしてるんか?

それただの共産主義の理想的展開だから。

そんなこと言うんやったらオーウェンのことくらい知ってるよな?

実現可能性考えような?

 

さっきも書いたけどお前CDの2曲目とか3曲目をなんだと思ってんの?

お前のほうがクリエイターに失礼だってことに気づけよ。

CDに金を出すのは物質の価値だけじゃねえんだよ。情報の価値だって多分に含まれてるんだ。それが何だ,明坂さんが曲のPV出したときにまた燃やしますだぁ?

燃えるのはお前のほうだよ。

 

無料化の時代の波に取り残されるだぁ?

過渡期にそれやって損失被らなくて済む立場のくせによく言えるな。

生活かかったクリエイターにそういう決断がポンポンできたら死にかけてる人間なんていねーよ。

 

それから無料化で出た広告の収入は寄付しますだって?

お前なんでこのタイミングで言うの?

つまり燃えなかったら全部自分の懐に入れる気やったんか?

 

お前明坂さんをなんやと思ってるんや?

明らかに格下に見た物言いやな。

さっきも言ったけどその上からの物言いに正統性はあるんか?

しかも吊し上げか。

自分の(間接的なものも含め)取り巻き使って袋叩きか。

 

 

謝れよ。

 

牛裂きにでもされながら詫びろよ。

 

その社会的地位とやらを使って上から目線でものを語った挙句

多くの人間が見ることのできるブログという場を使って吊るし上げたことを。

 

 

 

 

ざっとこんなもんだろうか。

思いついたらまた書き足すかもしれないし,文体を改めるかもしれない。

思いつくままに書いたから論理が甘いとか破たんしているとかもあるかもしれない。

 

 

 

 

 まとめよう。

 本件は

「(生活がかかってもいないので)リスクのある無料化の決断が容易にできる」

「(いやしくも)『社会的地位』の高い人間が」

「自分が作ったわけでもない作品を利用して」

「同人ゴロのようなことを行ったうえに」

「無教養にも」

「情報の価値を否定し」

「クリエイターに対して失礼な物言いをし」

「あまつさえその立場を使ってマウンティングを行った」

事案である。

しかも火消しのために他人のアイデアの剽窃までしている。

最初の記事で「自分がタダにしたからと言ってほかのクリエイターに強制するなよ」

後出しじゃんけんをしている。

しかし僕が話題にしている記事には,そのような大層な人間性が読み取れる文言は一切ない。

つまりあのクズはそういう人間である。

 

 繰り返すが僕は無料化自体を否定しない。

クリエイターに還元されるのならば問題はない。

しかしその構造がいまだに成熟していないのだ。

それゆえ無料化という方向に舵を切れない人も依然として多い。

当然リスクも高い。

それなのにあのクズは「できるだろ?」という物言いをした。

例えば,裕福で何不自由ない人生を送り,東大に入って官僚になった人間が

「え?東大なんて誰でも入れるだろ?」「え?小遣い?親がなんでも買ってくれるでしょ?」と言い放ったら誰だって腹が立つ。

腹が立つまでなら耐えればいいかもしれない。しかしそれを強制しだすと話は別だ。

(東大は物の例えなので貶める意図はない)

 

 ただし,この還元システムの問題とクズのマウンティングとは別件であることはきちんと認識しておかなければならない。

僕が糾弾しているのはあくまでもマウンティングの方がメインである。

僕はあんな人間を許せない。

「多数派」であることに驕り,「社会的地位」に驕り,そうでない人間を一方的に誹るような人間を。

自分が作り上げたものでもないのにあたかも自分のもののように誇り,あまつさえそれを利用してすべての良識ある人々を馬鹿にする人間を。

 

そしてこんな稚拙な文章しか書けない自分にも同時に腹が立つ。

 

 

かくして,なんで初投稿がこんなんになったんだろうと後悔しつつ,

僕のテスト前の大切な3時間が溶けていったのである。